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甲子園通算最多本塁打記録(13本)を持つ稀代の天才ホームランアーチスト【清原和博】

こんにちはー。
先日、野球ニュースを見ていたら、あの清原和博氏が監督就任というビックリする記事が。
あの事件から野球界から離れていた清原氏が公開トライアウトで監督としてベンチ入りするとのこと。
あの事件については許されざることなのでアレですが、野球人としての清原和博氏のことは好きだったんだよなぁー。

稀代のホームランアーチスト【清原和博】

PL学園から鳴り物入りで西武ライオンズからドラフト1位指名を受けプロ入りした清原和博氏はルーキーイヤーからレギュラーを獲得し大活躍。
その後も4番打者として常勝西武の黄金時代を築いた素晴らしいバッターでした。

清原和博(きよはら かずひろ)
1967年8月18日生まれ
大阪府岸和田市出身
身長188センチ 体重104キロ

ホームランを打つ能力に長けた素晴らしいホームランアーチスト。
レフト方向への引っ張ってのホームランだけでなくライト方向へもホームランの打てる打者でした。
高卒1年目から31本塁打を記録し、それ以降も毎年30本前後のホームランを記録し、通算22年のプロ生活で525本塁打を記録した偉大な選手。
特にオールスターや日本シリーズでの大活躍から『お祭り男』なんて呼ばれてもいました。
まずは清原和博さんの素晴らしいホームラン集からどうぞ。

今見ても凄い打者だなぁー。

PL学園時代【伝説のKKコンビ】

清原和博さんと言えば、PL学園時代の同級生・桑田真澄投手との活躍でKKコンビと呼ばれていました。
高校1年生の夏の甲子園から5期連続で甲子園に出場した素晴らしい成績を残しました。
1年生から強豪PL学園の4番として活躍し、1年生の夏・優勝、2年生の春・夏はともに準優勝、3年春はベスト4、最後の3年夏は優勝という好成績。
投げては桑田真澄投手が相手打線を抑え、打っては清原和博さんが得点を重ねるという名コンビぶりを発揮して一躍スターとなりました。
甲子園通算本塁打記録(13本)という大記録も達成しております。
本当に凄い打者でした!

日本シリーズでの涙

僕が清原選手が大好きになった忘れられないシーンがあります。
それは2年目のシーズンでの日本シリーズ第6戦での出来事。
1987年の日本シリーズは西武ライオンズVS読売ジャイアンツ。
3勝と王手をかけた第6戦も3−1とリードして9回表ツーアウト、あとアウト1つで優勝という場面。
一塁を守る清原選手が突然涙を流し試合は一時中断。
二塁手の辻発彦さんが声を掛けにいったりしてました。
それもそのはず子供の頃から熱烈な巨人ファンで、本人も巨人入りを夢見てドラフト会議を迎えたところ、巨人は清原ではなく早稲田大学進学を表明していたチームメイト桑田真澄投手を1位指名したのです。
清原は6球団の競合により抽選で西武ライオンズへと入団した経緯があります。
その当時の思いが蘇り感極まってしまっての男泣き。
青臭いと言われるかも知れませんが、僕は感動してしまったものです。

感動の名場面ですね!!!

いろんなことがあった清原和博氏ですが、ユニフォーム姿がまた見れるのは楽しみでもあります。
元気な姿が見られるのを楽しみにしてます!
それでは、またっ!
 


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