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つまらない気持ちにさせているのは   周りに起こっていることじゃなくて自分の中に起こっていること

いつか、ビジネス書に出てきたのを引用させてもらった

靴を販売するセースルマンがアフリカだったかアマゾンだったかあいまいですが、未開の地という設定だっと思います
その地に赴任の命を受け飛行機で降り立った時のこと
そのセースルマンは、「ここはだめだ、靴なんか誰も履いていない、商売になんかならない」と上司に報告して次のフライトでさっさと帰ってしまった
しかし、もう一人違う会社のセースルマンは、「ここはすごいです、まだだれも靴を履いてないからムチャクチャ売れそうです」と報告を入れすぐさま売り込みを始めた
パラダイムをシフトさせるのに、よくこの話を使った


仕事場は、同じような仕事をして機嫌よく仕事をしているヒトと、四六時中なんだかんだと不平不満を口にするヒトがいますね
それともう一つ、このようなヒトが一番多いんですが、分かっているふうな顔をして静かに仕事してるヒト、この人たち実に組織の中で6割を占めると言います
お分かりのように、残りの4割は、上機嫌2割と不平不満2割です
そして、不平不満2割の人が文句を言いながら辞めていきます
それでも不平不満は無くならず、残ったヒトの再編が行われまた2対6対2が出来上がる
普通にしていたヒトや機嫌のよかったヒトの中かから隠れ不平不満のヒトが現れてくる
組織とは面白いものです

改め無くても幸せな方はどっちかは分かる
改めなくても分かるということは、あのたとえ話は「またかよ」的な場の空気だった
しかし、それを言わないといけないみたいな考えで言ってた
その時って、それを言ってた時って、「楽しかったかな?」
聞いてたヒトたちは面白くなかったんだろうなあ

In Memory of Elizabeth Reed

 

 

ビジネスだと、どうしても知らないうちに硬くて重い甲冑を身にまとってしまっていて、その動きずらい甲冑をカチャカチャいわせながら「戦いだ」と争いを始める

面白く仕事するのも生きるのも、面白くなく生きるのも、すべては自分の心が決める
だれでも分かることをなぜ「分かってない」と結論づけたのか
分かってないんじゃ無くて、気付いてないだけとなぜ思わなかったのか
心がすべて決めると気付いてないだけだった

心ってすごいですよね
カタチがないのに、幸せを与えられる
そう言えば幸せもカタチが無い
人間って骨格とか筋肉とか内臓とかカタチがありますが、その素は元素であったり元素も素粒子であったり
素があるわけですが、ココロもシアワセもそういうカタチってないですよね
ひょっとしたら電磁波の仲間のようなのかも知れませんし、見えないだけでカタチがあるのかも知れませんが、実際には見れていない現状です
確かアドラーさんは、「幸せは、なるのではなく、幸せであること」と言うふうなことを言ってたと思いますが
これも「なる」となれば「こんなカタチで」になります
「ある」は、その状態ですからカタチ無くてもいいですね

昔に戻って、靴のサラリーマンの話を『ごめん、例えが悪かった』と言いなおすことができるなら
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」と言ってみたい
ご存じ高杉晋作さんの句です
日本史は高校の時サボって、あまり詳しくなくて恐縮ですが
戦いは嫌いですが、倒幕というなさねばならないことを行った人物として興味を引かれる人物です

 

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