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【ロックなメローお勧め】 ’69年 日本でも大変なバンドが出現、高校生が主体のブルース・クリエイション

こんにちは、メローです。

時は’69年、
お茶の間を楽しませたグループ・サウンズのブームがあっ!という間に落ちて行ったころ、
世の中の母親たちは少しは安堵したのかも知れません。
テレビから流れる歌謡寄りのグループ・サウンズをそんなに良くは思っていなかったと思います。
長い髪で、ヒラヒラの衣装を着て、上手なのか上手じゃないのか分からないようなうるさい音楽に、子供たちが熱狂するのを嫌がってたような気がします。
昔で言う『教育に悪い!』なんて・・


巷ではどうだったか分かりませんが、私の周りでは、洋楽に興味ある友人が数人いて、私もそちらに居ましたので、グループ・サウンズがテレビに出るたびにしがみついていたことは無かったですね。

どちらかと言えば、歌謡曲の一種くらいの感覚でした。

『興味なし』でした。

’69年というロックの歴史に残る年に、日本では、とんでもない先輩方がとんでもないグループを組みました。

ブルース・クリエイション

後のクリエイションにつながって行くのですが、
ブルース・クリエイションの結成当時、竹田和夫さんは、なんと高校生!!

そんな時に、クリームやジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、ヤードバーズなどに夢中だった、と言うだけでもすごいんですが、
それを自分の音楽スタイルに取り込んで、
実際にブルースを核にしたバンドを組んだ日本人が居たなんて、
それも「バンドのメンバーに外国人が居て」なんちゃって・・なんてこと無くて、
日本の高校生が主体となって組んだバンドなんです。

まさに、日本のロックの扉を開けた方々だと思います。

ファースト・アルバムには、あのスタンダードの名曲もカヴァーされています。

Rollin’ and Tumblin’

’69年に日本人が「ローリン・アンド・タンバリン」をコピーして、
それで、アルバムに収録して、売り出す・・・
もう、頭から煙でてきそうです。

そんな希少な方々なので、中々初期のライヴが見つかりませんでした。
’75年のクリエイションになってからの

Tobacco Road

アルバム「クリエイション」は、内田裕也さんにプロデュースしてもらったのもですね。
さすがにカッコよく仕上がってます。

実際には、周りのオーディエンスが少し置いて行かれてる感があって面白いですね。

今でもまだ現役で頑張っていらっしゃるってすごいなあ!

 

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