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ディープ・パープル まだジャンルの細分化の無い時代に、確実にハード・ロックの扉を開けたグループの一つです

こんにちは、メローです。
(60’s ~80’s ロック好きのメローなロッカーです。)

1968年に改名してキャリアをスタートさせた「ディープ・パープル」
当時、小学生だった私は知る由もなく、出会ったのは、他のロックバンドと同じ高校生になってから、
中学生の時は、日本のフォークの「赤い鳥」や「吉田拓郎」、
洋楽では「サイモン&ガーファンクル」、「ボブ・ディラン」等、フォークロックに勤しんでいました。

70年代初期は、音楽のジャンルがまだ今ほど細分化されていなかったですね。
海外からの情報もあまり入ってきてなく、その上住んでいた田舎には更に少しの情報が・・という感じで、
フォークはフォーク
(サイモン&ガーファンクルのアルバム帯に「フォークロック」という文字を見つけて『え~、外国はそういうジャンルなんだ!』なんて驚いていました)
ロックもロックでした。
ギターが主体なのか、キーボードが主体なのか位の区別で、その中で『ディープ・パープルとレッド・ツェッペリンはスタイルが違うよね。どう言ったらいいか分からないけど・・』程度のボキャブラでした。

マシン・ヘッド  ライヴ・イン・ジャパン

高校生になってからの出会いですので、最初に聴いたのは「マシン・ヘッド」です。
もちろん「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」にガツンとやられ、速攻コピーチャレンジした同朋の一人です。
その後すぐに、アルバム「ライヴ・イン・ジャパン」に遭遇し、ますますそのテクニックに混乱しました。

今のように、ミュージック・ヴィデオが皆無の時代でしたので、『どんな風にピッキングしているのか?、そもそも、どの弦の何フレットをどの指で押さえているのか?』が解らず、空想の世界のリッチー・ブラックモアには、手が届かない青春時代でした。

第5期

ご紹介の映像は、俗にいう「第5期」にあたる1984年のライヴです。
第2期のメンバーが揃って復活です。嬉しかったです。
やっぱり「第2期」の「イン・ロック」から「マシン・ヘッド」までのディープ・パープルが一番好きですね。
 
第5期の映像の各メンバーは皆、体格に貫録が出、第2期で仲が悪いとされた、イアン・ギランリッチー(・ブラックモア)が、アイコンタクトとし、ニンマリする場面が出て来ますが、『みんな大人になったなあ』と時間の流れを感じます。

ハイウェイ・スター

当たり前ですが、武道館の音源だけでは無かった

アルバム「ライヴ・イン・ジャパン」のジャケットは、バンドの後方より【武道館】の客席側を写したものです。
収録7曲を聴きながら、いつかはあの武道館で外タレのコンサートを見てみたいと友人といっしょに夢を膨らませていました。
その後、「ライヴ・イン・ジャパン完全版」なる音源があることを知り、『ああそうか、大阪でもやったよね』で納得しかけたのですが、聴いていた「ライヴ・イン・ジャパン」の内4曲は大阪のテイクだったことがわかりなんとも複雑な気持になりました。
「ライヴ・イン・ブドウカン」ではなく、「ライヴ・イン・ジャパン」ですので、なにも悪いことではないのですが、
ジャケットワークも、『表を武道館、裏を大阪フェスティバルホールにするとかして欲しかった』なんて、勝手にすこし文句をつけたりして友人と盛り上がっていましたね。

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