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藤川球児も憧れた2年連続20勝、11連続完投勝利を誇る『平成の大エース』【斎藤雅樹】

藤川球児も憧れた2年連続20勝、11連続完投勝利を誇る『平成の大エース』【斎藤雅樹】

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
先日、スポーツニュースサイトを見ていたら今シーズン引退を発表した藤川球児選手のスマホの話が出てました。
【阪神】藤川球児、スマホ裏に“原点”斎藤雅樹さんサイン(スポーツ報知)より
藤川球児投手が使うスマホの裏には憧れの投手だった斎藤雅樹さんのサインが入ってるんだそうです。
だから壊れない限り買い換えるつもりはないんですって。
あの藤川球児投手が憧れるくらいの凄い選手だったんですよー。
僕も同年代だから子供ながらに凄さを感じたことを思い出します。

平成の大エース【斎藤雅樹】

読売ジャイアンツで大活躍した斎藤雅樹投手。
右のサイドスローで140キロ超えのストレートを投げて、高速スライダーもキレキレ、シンカーもある。
そして何より完投能力の高いスタミナ抜群のまさにエースって感じの素晴らしい投手でした。

画像引用元ミドルエッジより

斎藤雅樹(さいとう まさき)
1965年2月18日生まれ
埼玉県川口市出身
身長181センチ 体重90キロ

東京都足立区で生まれ埼玉県川口市で育ち、野球を始めたのは小学5年生からという少し遅いスタート。
川口高校入学後に頭角を表したが甲子園大会への出場は果たせなかった。
1982年NPBドラフト会議にて読売ジャイアンツから1位指名を受けプロ入り。
打撃、守備センスの良さから野手転向を勧める声もあったが、当時の藤田監督のアドバイスによりサイドスローへと転向し、2年目に一軍デビュー。
1985年からはローテーションに定着し、チーム最多の12勝、リーグ最多の4完封という素晴らしい成績を納めるも、王監督時代は一軍と二軍を行き来するような選手となる。
しかし1989年に藤田監督が巨人に復帰すると先発に定着し、2試合連続完封勝利を含む11試合連続完投勝利の日本記録、20勝を挙げ最多勝を達成。
1990年にも20勝を挙げ、2年連続20勝を果たし2019年シーズンまで2年連続20勝投手は現れていません。
その後も最多勝5回、最多奪三振1回、最高勝率3回、沢村栄治賞3回、最優秀選手1回、ベストナイン5回などなど様々な賞を受賞し平成の大エースと呼ばれるにふさわしい活躍をし、2001年シーズン終了後に引退。
日本記録は3年連続開幕戦完封、11試合連続完投勝利、沢村賞受賞回数(3回)、年間最多完封回数(7回)と凄い記録ばかりですね。
現役引退後は投手コーチや二軍監督も務め、野球解説者としても活躍中です。

最強のサイドスロー投手

プロ野球投手にはたくさんのサイドスロー投手がいましたが、斎藤雅樹投手が最強のサイドスロー投手だと思います。
先発投手に斎藤雅樹投手の名前があがるだけで、相手チームに絶望を与えるくらいの投手。
子供の頃は斎藤雅樹投手が投げてる試合は見たくないって思うくらいでしたもんね。
もちろん野球ゲームではたくさん使わせてもらいましたけどね(笑)。
それくらい凄い投手だったんですよ。
ということで、全盛期の斎藤雅樹投手の圧巻のピッチングをご覧ください。

藤川球児投手だけでなく、同年代の子供達にとっては憧れの投手の一人ですね。
今で言うとダルビッシュ投手とか、大谷投手とか、菅野投手とかそんな感じだったんですよー。

ということで、今日は往年の名投手『平成の大エース』斎藤雅樹投手のことを書いてみました。
凄い懐かしいなぁー。
それでは、またっ!



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