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バックもフォアも両手打ちで女子テニスのトップに上り詰めた強打!【モニカ・セレシュ】

こんにちはー。
スポーツ大好きじょびスポです。
子供の頃からいろんなスポーツを見るのが大好きで、テニスも見始めた頃はナブラチロワやマッケンローが現役の頃だったりします。
休みの日に何かスポーツの試合がやってれば、どんなスポーツでも見てた感じです。
スポーツに関しては雑食性ですね(笑)

バックもフォアも強烈な両手打ち!【モニカ・セレシュ】

今日は大好きだった女子テニスプレイヤーを紹介しちゃいます!
15歳でプロ転向を果たし、16歳6ヶ月で全仏オープンを制した天才少女。

画像引用元 Web Sportivaより

モニカ・セレシュ
1973年12月2日生まれ
ユーゴスラビア出身
身長179センチ 体重70キロ

若くしてその才能を開花させ当時の4大大会最年少記録を樹立する天才少女っぷりを発揮しました。
残念ながらその後、マルチナ・ヒンギスに記録更新されてしまいましたが、若くして世界のトップに上り詰めました。

モニカ・セレシュの特徴といえば、強烈なストローク!
一般的な選手はフォアは片手打ちでバックは両手打ちという選手が多いのですが、セレシュはフォアもバックも両手打ち。
強打とコントロールで世界を獲ったんです。
両手打ちとなると片手よりもミートポイントが近いため、余分に走って近づかなくてはなりません。
それを可能にしたのがセレシュのフットワークの速さです。

プロ転向した初年度1989年の全仏オープンでいきなり準決勝に進出して当時のトップ選手、シュテフィ・グラフと対戦した時のハイライトです。

わずか15歳で当時の女王とこの戦いってスゲェーっすね。
そして翌年の1990年には見事に全仏オープンで優勝してるんですよね。
両打からの強打は本当に凄かったっす。

不幸な事件が阻んだモニカ・セレシュ時代

全仏オープン優勝から世界のトップ選手としてプレーしたモニカ・セレシュは1991年3月11日には史上最年少17歳3ヶ月で世界ランク1位に輝きました。
まさに時代はモニカ・セレシュの独壇場となった矢先、1993年4月30日に衝撃的な事件が起きてしまいました。
しかも試合中に・・・・

ドイツ・ハンブルクで開催されていたシチズン・カップ準決勝の試合中に暴漢に背中を刺されてしまったのです。
この事件によりセレシュは2年半も試合から遠ざかってしまいました。
精神的なショックは相当のことだったことでしょう。。。

1995年8月のカナダオープンで復帰を果たすと見事にその大会で優勝を飾りました。
翌1996年全豪オープンで復帰後初の4大大会優勝も果たしました。
しかし、その後はけがによる不振やマルチナ・ヒンギス、ウィリアムズ姉妹などの若手の台頭により4大大会の優勝から遠ざかってしまいました。
そして2003年の全仏オープン1回戦が最後の公式戦出場となりました。
2005年に正式に引退を表明して選手生命を終えました。

1993年のあの事件がもしなかったら・・・
凄い優勝記録を残したかも知れませんね。
本当に残念な出来事となってしまいました。
モニカ・セレシュさんのファンだった僕は悔しくて仕方ありません。
もちろん本人が一番悔しい思いをしたのは間違いありません。

あの事件を繰り返さないために今は試合中のコートチェンジの休憩時にはボールボーイが観客席側を向いて横に立ってくれてるんです。
ちょっとした豆知識でした。
いつかまたテニスコートに後進育成などで復帰してくれないかなぁー。
そんなことをついつい妄想しちゃいます。
それでは、またっ!



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