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ストレートとフォークを武器に活躍した屈指のクローザー・ハマの大魔神【佐々木主浩】

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
今日はプロ野球のレジェンド選手の動画を見つけて懐かしさとともに凄さを感じたので、ブログに書き記します。
長くなり過ぎないように気をつけながら書きますので、最後までお願いします。

ハマの大魔神【佐々木主浩】

横浜ベイスターズで一時代を築き、MLBでも活躍した佐々木主浩さん。
現在は競馬の世界で馬主としても有名だったりしますが、現役時代の活躍は本当に凄かったんですよー!

画像引用元 Youtubeより

佐々木主浩(ささき かずひろ)
1968年2月22日生まれ
宮城県泉市出身(現・仙台市泉区)
身長190センチ 体重98キロ

小学4年生で地元の少年野球チームで野球を始め、中学では野球部に所属し主に野手として活躍。
高校は東北高校に進学し2年の夏からエースとして3季連続で甲子園にも出場。
高校卒業後は東北福祉大学へ進学し全日本大学野球選手権大会で2度準優勝をするなど大活躍をし、1989年NPBドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団。
1年目は先発として起用されるも2勝4敗2セーブ、防御率5.85で終わるも翌年からは抑えの遠藤投手の故障離脱もあり抑えに抜擢されて定着しました。
以降は抑え投手・クローザーとして素晴らしい成績を残す大投手となり、最優秀救援投手賞も4年連続を含む5回受賞、最優秀選手賞も受賞など素晴らしい成績を挙げ、ついに1999年にFA権を取得し2000年にMLBに挑戦。
シアトル・マリナーズに在籍した4年間で129セーブを挙げる活躍を見せた後に、2004年に横浜に復帰し2005年シーズン終了後に現役引退となりました。
ストレートと落差の鋭いフォークボールで打者をキリキリ舞させる凄い投手でしたし、佐々木投手が出てくると絶望感が漂うほどの凄い投手だったなぁ。
それでは、現役時代の凄い投球をご覧くださいませ。

マジで凄いわぁー。
 

レジェンドの目撃者

今回僕がYoutube発見し面白くて一気に見てしまったのが『レジェンドの目撃者』NHK BS-1で放送されたものだそうです。
佐々木主浩投手の裏側というか、様々なことが聞けて凄く面白かったです。

この番組の中から個人的に興味深かった点について書いていこうと思います。

4種類のフォークボールを操っていた

佐々木主浩投手と言えばストレートと伝家の宝刀フォークボール!
フォークボールという球種だけでも4つのフォークボールを投げ分けていたんだそうです。
1つ目は空振りを取る落差の大きなフォーク。
2つ目はストライクを取るフォーク。
3つ目は左打者の外に逃げるフォーク。
4つ目は右打者の外に逃げるフォーク。

こんなに投げ分けてたなんて初めて知りました。
ストライクを取るためのフォークと決め球の落差の大きなフォークは知ってましたが、まさか左右に逃げるフォークも投げてたなんてビックリです。
フォークの握りは元々縫い目に指を掛けるタイプらしいのですが、そこで微妙に指の力加減を変えるんだそうです。

これはなかなかできないでしょうね。
まさにレジェンド!

テイクバックで握りを変える

これも信じられないような話ですが本当のようです。
最初から行っていた訳ではなく、相手チームからクセを見抜かれたりしながら段々と工夫をして辿り着いたんだそうです。
なんとかして佐々木投手のクセを見つけようとしていた巨人のスコアラー三井さんが必死に発見したそうです。
グラブの中でのちょっとした手首の角度らしいのですが、これで巨人は佐々木投手攻略に成功したんだそうです。

しかし、佐々木投手・谷繁捕手もスタッフを巻き込んで見抜かれているクセを探し、対応をしていったんだそうです。
この辺が僕らに分からないプロレベルの攻防戦ですね!
そして最終的には佐々木投手はこんなことができるようになったそうです。
ストレートの握りからテイクバックでフォークに握りを変えることが。

これを投球のフォームの中でやるって本当に凄いことですし、凄い努力をしたんだろうなと感心してしまいます。
あれだけの投手がこれくらい考えながら野球をしていたらそりゃ打てないですよね。

クローザーしかできない体

最も驚いたのが「クローザーしかできない体」だったということ。
ルーキーイヤーこそ先発を務めていましたが、2年目から抑えに回ったのは適性を見極めての配置転換。
現役時代から佐々木投手のトレーナーを務めていた方もこう言っていました。

プロ入り前の大学時代に腰を2回も手術していた佐々木投手は1位指名を受けた後のインタビューでもこんなことを言ってました。

1位指名されて光栄ですけど
自分の場合は腰に不安を持ってますんで
自分としては自信がありません。

いまだかつてこんなに自信がない会見って聞いたことがありません。
それくらい腰の状態を自分として気にしていたってこと。
実際プロ入りも辞退しようとしていたところ説得されてのプロ入りだったんだそうです。
スタミナ不足をカバーする上でもクローザーとして1イニング限定を全力でいくってのがハマったんでしょうね。
もし腰痛がなければクローザー佐々木主浩は存在しなかったのかも知れません。
まさに怪我の功名ってやつです。
佐々木主浩投手の活躍の裏にはこんなエピソードがたくさんあったんですね。
こういうエピソードが大好きなので、またいろいろと探してみまーす。
それでは、またっ!



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