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鮮やかな背負い投げを武器に『平成の三四郎』と呼ばれた金メダリスト【古賀稔彦】

こんにちはー。
先日、信じられないようなニュースが報道されました。
バルセロナ五輪・柔道金メダリストの古賀稔彦さんが死去。
まだ53歳という若さで本当に残念です。
今日はそんな古賀稔彦さんがどれだけ凄かったのかをお伝えできればと思います。

平成の三四郎【古賀稔彦】

画像引用元 毎日新聞より

古賀稔彦(こが としひこ)
1967年11月21日〜2021年3月24日(享年53歳)
佐賀県三養基郡出身
身長169センチ 体重71キロ級

小学校時代に柔道を始め、中学からは東京の『講道学舎』に入門するため上京。
世田谷学園高校時代には数々の全国大会で優勝し、日本体育大学進学後も全日本、世界選手権で連覇を飾り、1992年のバルセロナ五輪で金メダル、1996年のアトランタ五輪でも銀メダルを獲得。
2000年に現役を引退され、全日本柔道女子強化コーチを経て、2007年からは環太平洋大学女子柔道部総監督、2014年から全日本柔道連盟女子強化委員も勤めました。
現役引退後も柔道界で後進の育成に尽力しており、2004年アテネ五輪では愛弟子の谷本歩実が金メダルを獲得。
園児から大学生まで幅広く柔道の指導をしていたのですが、残念ながら若くして他界してしまいました。
それでは、まずは古賀稔彦さんの素晴らしい技の数々をご覧くださいませ。

背負い投げ、一本背負いを得意とした古賀稔彦さんの技のキレがハンパないですね!!!
こんなに綺麗に技が決まったら気持ちいいでしょうねぇー。
 

痛み止めを打って獲ったバルセロナ五輪の金メダル

古賀稔彦さんといえばバルセロナ五輪での金メダルを忘れてはなりません。
1988年のソウル五輪に初出場するも3回戦で敗退となり4年後のバルセロナ五輪では優勝候補に。
日本選手団主将も務め、金メダルが期待されていました。
しかし五輪直前に吉田秀彦選手との乱取り中に左膝を負傷してしまい歩くこともままならない状態に。
靭帯を伸ばしてしまい、全治3週間という大ケガ。
膝の痛みに加え、運動できないことにより減量も思うようにならない状態に。
試合には左膝に痛み止めの注射を6箇所に打ちながら見事に金メダルを獲得したのは感動しました。
金メダル候補だった日本人有力選手たちが力を発揮できない波乱の流れの中で、吉田秀彦さんが金メダルを獲得し弾みをつけます。
吉田秀彦さんの想いも背負って、痛む足の状態の中・・・
決勝戦は旗判定にて勝利し金メダル!!!
試合終了後の吉田秀彦さんの涙も感動的でしたね。

ケガで無理をするのが良いとは言えません。
それでも、男ならばここ一番でやらねばならない時がある。
自分のためだけでなく、後輩の吉田秀彦さんのためにもという想いもあったんだと思います。
それくらい感動したバルセロナ五輪での金メダルでした。

柔道家として素晴らしい活躍を見せてくれた古賀稔彦さんのご冥福をお祈りいたします。
古賀さんが指導した選手たちがこれからの日本の柔道界を盛り上げてくれるのを楽しみにしたいと思います。
それでは、またっ!

 



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