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生まれ持つ野球センス今ここで見せろ!気迫では負けはしない立浪和義!

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
プロ野球もレギュラーシーズンが終了し残すはポストシーズン。
地元の中日ドラゴンズは与田監督の退任に伴い、来期の監督はミスタードラゴンズの立浪和義さんが就任する予定とのこと。
ということで、立浪和義さんについて書いておくことにします。

ミスタードラゴンズ【立浪和義】

ミスタードラゴンズと呼ばれた中日のレジェンド・立浪和義さん。
もっと早くに指導者として帰ってくると思っていたのですが、やっと戻ってきてくれましたね。
来シーズンに早くも期待したいと思います。

画像引用元 立浪和義 正式契約事務所より

立浪和義(たつなみ かずよし)
1969年8月19日生まれ(52歳)
大阪府摂津市出身
身長173センチ 体重70キロ

小学4年生の時に兄から誘われ公式少年野球チームで野球をはじめ、高校は当時の強豪校・PL学園に入学。
寮では2学年上の桑田真澄さんと相部屋だったそうです。
PL学園では遊撃手として活躍し2年春の選抜にも出場し、3年時には主将として春夏連覇を達成。
当時から俊足巧打の遊撃手としてプロから注目されるほどの選手として評価されていました。

1987年のNPBドラフト会議にて南海と中日が1位指名で競合し星野仙一監督が当たりくじを引きドラフト1位にて入団。
ルーキーイヤーの1988年には2番・遊撃手として開幕戦から出場する大抜擢を受け、高卒新人選手が開幕先発出場するのはセ・リーグ史上3人目という快挙。
開幕から活躍を続けてオールスターゲームにも遊撃手部門でファン投票選出されて出場。
レギュラーシーズン110試合に出場し、セ・リーグ制覇にも貢献し日本シリーズにも出場。
守備・走塁技術を高く評価されて新人王と高卒新人として初のゴールデングラブ賞を受賞するという快挙も達成。
2年目は右肩のケガの影響で二軍暮らしが多くなりましたが、3年目以降はレギュラーとして長く中日ドラゴンズを引っ張ってくれました。
1992年には遊撃手を種田に譲って二塁手に転向し、ベテランとなってきた2001年以降は三塁手として出場。
最後は代打要員として勝負強い打撃を見せてくれていました。
2009年シーズン終了後に惜しまれながら現役引退するまでドラゴンズ一筋での活躍を見せてファンを魅了してくれました。
1990年から2005年まで16年連続規定打席到達というチームの中心として長く活躍した証も記録。
2003年7月5日には2000本安打も達成し名球会入りし、通算二塁打記録487はNPB野球記録。
プロ初安打もプロ最終安打も二塁打というまさに『ミスターツーベース』の称号に相応しい選手でした。
現役引退後は野球解説者として活躍されていました。

 
立浪和義さんの応援歌は中日ファンの誰もが口ずさんだ光GENJIのガラスの十代!

生まれ持つ野球センス〜♪
今ここで見せろ〜♪
気迫では負けはしない〜♪
立浪和義〜♪

まさに立浪和義さんを表現していますね。
野球センスと小さな体格ながら負けん気の強さを発揮して活躍する背番号3は中日ファンの憧れでした。
今後は立浪和義監督として強い中日ドラゴンズを作り上げてくれることを切に願ってます。
それでは、またっ!

 



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