こんにちは、メローです。
(60’s ~80’s ロック好きのメローなロッカーです。)
そのバンド名称では、何種類かの説を聞きます。
ある楽器プレイヤーのあだ名であったり、アメリカの作家の文章の一部であったり、
興味深々ですが、曖昧なものは曖昧のままに、噂は噂のままにしておく方が、ヤードバーズを素のまま自由に聴けるような気がします。
エリック・クラプトンはサードシングル「フォー・ユア・ラヴ」を嫌々(だと思います)収録し終えた後、バンドを去りました。皮肉にもこの曲は大ヒットし、【ヤードバーズ】の名声はうなぎのぼりの状態になりました。
疑問なのは、エリック(・クラプトン)が抜けたあと、ブランク無しに「フォー・ユア・ラヴ」が、次のギタリストに引き継がれ、ステージもこなして行けたことです。
そうです、表向きジェフ・ベックに何もなかったように引き継がれたことです。
現在で言うところのプロモーション・ビデオ(あの騎士の衣装をまとって演奏するへんてこりんな映像です。)も普通に作って残ってますね。
一説によりますと、エリックは辞める間際、スタジオに遅刻したり来なかったりした時期が当然ありました。
それを埋めるために、バンドはスタジオミュージシャンのジェフ・ベックに一部ギターパートを外注していて、その中に「フォー・ユア・ラヴ」も含まれていたようです。
ジェフ・ベック
エリックの後釜として、メンバーとマネージャーのジョルジオ・ゴメルスキーがジミー・ペイジを選んだのは有名な話ですね。
その後、体調説やエリックへの配慮説などが色んなインタビューや関連書籍に詳しく書かれていますが、ジミー(・ペイジ)は運命の推薦をしました。
ジミーとジェフ・ベックは学友で小さい頃からの知り合いで、お互いの家を行き来し、音楽に対する夢を語り合った仲のようです。すごいゴールデンフレンズですね。
化学変化
ジェフ(・ベック)が、加わって良い化学変化がありました。
ヤードバーズのメンバーがエリックの脱退によって得た教訓は、
『自分たちの進むべき道を見出すことができた。やりたいことを自由にやろう。それをエリックが示してくれた』です。
そして、ジェフからは、
『新しいことに対応できる才能を持った男が来て、熱い感情表現が出来るようになった”』です。
実験的なことに積極的にチャレンジするジェフにメンバーは触発されたようですね。
「ディストーション、フィードバック奏法、ワイルドなチョーギングそれにファズ・ボックス」・・・これらを駆使してのプレイに『これで、エリック・クラプトンから決別できた』と思ったんじゃないでしょうか。
4作目のシングルは、「ハートせつなく」
ジェフのプレイがバンドを変えました。
Heart Full Of Soul
ジェフによる前作「フォー・ユア・ラヴ」