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28人目の打者に打たれ3度のノーヒットノーラン未遂・幻の完全試合を経験した悲運のエース【西口文也】

28人目の打者に打たれ3度のノーヒットノーラン未遂・幻の完全試合を経験した悲運のエース【西口文也】

こんにちはー。
今日も野球ネタにお付き合いくださいませ。
やっぱり野球をしたい願望があふれ出ておりまして(笑)。
もう少しでグランドにも出れるので週末が待ち遠しいです。

西武一筋21年【西口文也】

西武ライオンズに入団以来、西武一筋21年。
フランチャイズ・プレイヤー歴21年は伊東勤氏の22年に継ぐ記録です。
西武ライオンズのエースとして数々の記録を残した名投手でした。

画像引用元 Wikipediaより

西口文也(にしぐち ふみや)
1972年9月26日生まれ
和歌山県和歌山市出身
身長182センチ 体重75キロ

小・中学生時代は遊撃手と外野手としてプレーしていたが、和歌山商業高校時代から投手も兼任することに。
高校卒業後は東都2部リーグに所属する立正大学へと進学し投手に専念することに。
東都1部リーグには1994年の春季リーグのみとなりましたが、2部リーグを中心に活躍し、1994年NPBドラフト会議にて西武ライオンズから3位指名を受け入団。
ルーキーイヤーの1995年はアメリカ独立リーグへと野球留学からスタートし、決め球となるチェンジアップを習得して帰国。
シーズン後半戦には2勝をあげると、2年目の1996年はリーグ2位の16勝を挙げる活躍。
1997年、1998年は最多勝を2年連続で獲得。
その後も西武ライオンズのエースとして活躍を続けます。
ちなみに松坂大輔投手が入団してきてもチームメイトからは『松坂は怪物。エースは西口。』と人間性も含めて認められています。
その後、右足のケガで満足いくシーズンが送れない時もありましたが、安定して活躍し続けました。
そして2015年のシーズン終了後に引退し、現在は埼玉西武ライオンズの投手コーチを勤めています。

躍動感あふれる投球フォームからMAX150キロのノビのあるストレートにスピードや曲がり幅の違うスライダーを駆使し、切れ味鋭く縦に落ちるスライダーはまるでフォークボールみたい。
昨日ご紹介した岸孝之投手も西武ライオンズ入りを決めた理由の一つが尊敬する西口文也投手がいたから。
確かに体型や雰囲気も似てますね。

スライダーのキレが素晴らしいですねぇ!
 

28人目の打者に3度ノーヒッターを破られた不運の男

西口文也投手を語る上で忘れてはいけないのがノーヒットノーラン未遂と完全試合未遂の話。
西口さんは3回ノーヒットノーラン達成のチャンスがあったのですが、いずれも28人目の打者にヒットを打たれて未遂となっています。
8回ツーアウトからのヒットもあるので、4回と言ってもいいかも知れませんね。
本人も引退会見の時にやり残したこととしてノーヒットノーランをあげてました。

1度目は2002年8月26日の千葉ロッテマリーンズ戦。
四球による出塁1つに抑えて迎えた9回2死までノーヒットを続けたのですが、28人目の打者・小坂誠にセンター前ヒットを打たれてしまい逃しました。

2度目は2005年5月13日の読売ジャイアンツ戦。
清原選手に与えた死球1つで迎えた9回裏2死までノーヒットを続けたのですが、28人目の打者・清水にスライダーをライトスタンドにホームランを打たれて逃してしまいました。
あの時の西口の表情が忘れられません。。。

3度目は2005年8月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦。
この日は9終了まで打者27人を抑え、完全試合達成となるはずが相手チームの一場投手に西武も無得点に抑えられており9回終了時ではゲームは成立せず延長戦へ。
延長10回の先頭打者・・・なんと28人目の打者・沖原にライト前ヒットを打たれてしまい完全試合も未遂に。
試合は10回裏にサヨナラ勝利となって勝ち投手にはなりましたが、本当に残念な出来事でした。

引退までに一度はノーヒットノーランを達成して欲しい選手でしたね。
奇しくも28人目の打者に3度打たれるって逆に凄いことですよね。

最も不運な男なんて呼ばれることもありますが、ファンからもチームメイトからも愛された素晴らしい野球人生だったんじゃないでしょうか。
現役最後のマウンドの球場全体の雰囲気が物語ってますよね!

最後の渾身のスライダーをボールと判定されてしまうとこがちょっと不運かもですね(笑)。
しかし、素晴らしい投手だったことには変わりありません。
これからはコーチとして後進の育成に期待したいと思います。
それでは、またっ!



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