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『グレイシー・ハンター』『IQレスラー』と呼ばれPRIDE全盛期を支えた桜庭和志!

こんにちはー。
スポーツ大好きなじょびスポです。
野球やサッカーなどのメジャースポーツも好きですが、格闘技も好きです。
今日はそんな日本の格闘技界を牽引した選手のことを書きます。

PRIDE全盛期を支えたIQレスラー【桜庭和志】

毎週水曜日の配信を楽しみに待っているAmazonプライム・ビデオの『有田と週刊プロレスと』を見てたら、PRIDE全盛期を支えたこの選手のことを書こうと思いながらも忘れてたことを思い出しました(笑)。
気になる方はまずはAmazonプライム・ビデオからご覧ください。

画像引用元 RIZINオフィシャルサイトより

桜庭和志(さくらば かずし)
1969年7月14日生まれ
秋田県南秋田郡昭和町出身
身長180センチ 体重85キロ

秋田商業高校レスリング部から中央大学レスリング部に入学し主将まで務めながらも大学を中退しUWFインターナショナルに入団。
Uインターれはレスリング技術だけでなく打撃、関節技も習得しプロレスラーとして成長。
所属団体がプロレスではなく真剣勝負の格闘技路線に進んでいき総合格闘家として試合にも出場。
1998年には高田延彦主宰の高田道場へと移籍しPRIDE.2にPRIDEデビュー。
PRIDEのリングで着々と勝利を重ね、PRIDEを代表するトップファイターへとスターダムを駆け上がっていきました。
卓越した変則技を繰り出して対戦相手を翻弄することから『IQファイター』と呼ばれ人気でした。
試合中にモンゴリアンチョップを繰り出したり、入場にも趣向を凝らしたり見ていて面白い選手でした!
次に何をしてくれるかと期待させる選手で僕も大好きな選手で応援してました。

日本の総合格闘家として2017年にアジア人初のUFC殿堂入りも飾ったほどのレジェンドファイターです。

グレイシー・ハンター

桜庭和志のもう一つの異名といえば『グレイシー・ハンター』ですよね!
PRIDE創世記に高田延彦や船木誠勝が挑んで散ったヒクソン・グレイシーをはじめブラジリアン柔術を駆使し勝利を重ねた一族がいました。
その昔、日本の柔道家・前田光世がカーロス・グレイシーに技を指導したのが起源と言われ、カーロスの弟エリオ・グレイシーもこれらの技を研究し『グレイシー柔術』と呼ばれる技術体系を築き上げました。
エリオ・グレイシーの息子、ヒクソン、ホイスをトップファイターとして有名になったグレイシー一族。
1993年にUFCが創立されるとホイス・グレイシーが出場し3回優勝。
優勝したホイス・グレイシーが「兄ヒクソンは私の10倍強い」と発言したことからヒクソン・グレイシーも注目され、当時最強と言われていた高田延彦が2度挑戦するも完敗!

そんなグレイシー一族を次々と倒して行ったのが桜庭和志!
1999年11月のPRIDE.8でエリオの五男であるホイラー・グレイシーに勝利。
2000年5月のPRIDE.8ではエリオの六男であるホイス・グレイシーに勝利。
2000年8月のPRIDE.10ではカーロスの孫にあたるヘンゾ・グレイシーに勝利。
2000年12月のPRIDE.12ではカーロスの孫にあたるハイアン・グレイシーに勝利。
当時最強と言われていたグレイシー一族に連勝を飾りPRIDEを盛り上げました。
ホイス戦では相手サイドのいろんなルール変更の申し出を全て飲んだ上で90分の激闘を制した姿に大興奮したもんです。
ホイスが着てきた道着を引っ張って脱がしてみたり、道着で腕をロックしたり。
グラウンド勝負に持ち込みたいホイスをグランドでバンバン足を蹴ったり。
とにかく凄い試合でしたよね!

一時代を築いた桜庭和志選手の活躍に当時胸を躍らせたファンもたくさんいましたよね!
そして桜庭和志の出現により盛り上がった日本の総合格闘技界は今もファンを魅了してくれています。
また年末にビッグマッチが繰り広げられるのを楽しみに待ちたいと思います。
それでは、またっ!
 


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