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『ハンカチ世代』と呼ばれる1988年生まれの球児を引っ張ってきた斎藤佑樹投手が遂に現役引退

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
先日、少し寂しさとともに仕方ないよなっと思うニュースが入ってきました。
北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手が現役を引退というニュース。
個人的には本当にお疲れ様でしたと言わせていただきたいと思います。

田中将大投手と投げ合った伝説の延長15回引き分け再試合

斎藤佑樹投手を語る上で欠かすことができない伝説の試合があります。
それは2006年の夏の甲子園決勝戦。
斎藤佑樹投手率いる早稲田実業VS田中将大投手率いる駒大苫小牧高校との試合は、延長15回でも決着がつかず引き分けとなり翌日再試合となりました。

この試合には日本中の野球ファンが熱狂したんじゃないでしょうか?
両投手とも譲らず延長15回を1−1で同点引き分け。
お互いピンチもチーム一丸となって守り抜いた素晴らしい試合でしたね。
そして翌日の再試合も熱かったぁー。

4−3で勝利した早稲田実業は初優勝!
最後の打者が田中将大投手となったのもまた不思議な縁なんだなぁって思います。
この試合は本当に素晴らしかったなぁー。
ピンチになるとマウンド上でポケットからそっとハンカチを出して汗を拭く姿が話題となりハンカチ王子と呼ばれ大フィーバーになったのも懐かしいですね。

 

ハンカチ王子【斎藤佑樹】

夏の甲子園でハンカチ王子として話題をかっさらった斎藤佑樹投手。
そこから大学、プロ入り、プロ入り後と常に注目を集め続けてきた凄い男。
プロ入り後は思うような成績が残せない苦しい中でも常にマスコミに追いかけられる状態。
その中でも自分の理想像を追い求め努力し続ける姿に、いつか復活して欲しいと思い続けていました。

画像引用元 東京新聞Webより

斎藤佑樹(さいとう ゆうき)
1988年6月6日生まれ(33歳)
群馬県太田市出身
身長176センチ 体重77キロ

小学1年生から少年野球を始め、中学時代は学校の軟式野球部。
高校は推薦入試で早稲田実業へと進学し東京で兄と二人暮らしをしながら野球部を続けます。
高校3年時に出場した夏の甲子園大会で優勝を飾り、プロ入りも期待されましたが卒業後は早稲田大学へと進学。
早稲田大学では1年生からリーグ戦で登板するなど活躍をし、第100代主将にも就任するなど大活躍。
2010年10月に開催されたNPBドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団が1位指名し、抽選で日本ハムへ。
このドラフト会議では早稲田大学から大石達也投手、福井優也投手も同じくドラフト1位指名を受け同一大学の投手3人が1位指名を受けたのは史上初の快挙となりました。
プロ入り後は1年目、2年目と先発投手として1軍で投げるもそれ以降は右肩の故障に悩まされ目立った成績は上げられずプロ通算88登板、15勝26敗、防御率4.34という成績での引退となりました。
選手としては大きな活躍は見せることができませんでしたが、個人的にはその功績は大きいと思っています。
それはハンカチ世代と呼ばれる1988年生まれの数多くのプロ野球選手を輩出することにつながったと思います。
斎藤佑樹投手に勝つために、打つために多くの球児たちが憧れや目標にした選手だったから。
現在も一軍で活躍する選手だけでもライバル田中将大投手をはじめ坂本勇人選手、前田健太投手、梶谷隆幸選手、吉川光夫投手、會澤翼捕手、堂上直倫選手、福田秀平選手、福田永将選手、柳田悠岐選手、秋山翔吾選手、澤村拓一投手、大野雄大投手、宮崎敏郎選手などなど。
日本のプロ野球界を代表するような選手ばかりですね。
この年代を牽引したのは間違いなく斎藤佑樹投手だったと思います。
プロ入り後の成績では及ばずですが、斎藤佑樹投手なくしてこの世代の活躍はなかったのではないかと。

最後に結果的に全盛期となってしまった高校時代の素晴らしい投球動画でお別れしたいと思います。

今見ても素晴らしい投手だったなぁー。
斎藤佑樹投手、本当にお疲れ様でした。
それでは、またっ!
 

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