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【ロックなメローお勧め】 ブラインド・フェイス 危うく見えるから粒ぞろいのナンバーがぎっしり、「Presence of the Lord」はクラプトンの後のセット・リストでも度々出てきます

こんにちは、メローです。

適と~にロックしている還暦です。遠い昔を少しずつ手繰り寄せながら、その日に思いついたことをつづってロックしてます。
本格的に洋楽に出会ったのは小学校6年生くらいだったか・・サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」がトランジスタラジオから何回も流れていました。
他には、カーペンターズの「愛のプレリュード」、エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌」、日本ではバラードっぽいのが好かれてたみたいです。
それにしても当時は何も思わなかった邦題を改めて見つめると『なんで、こうなるの?』というのもあります。時代を感じますねえ~
宜しかったら、のぞいてみて下さい。


4月27日・土曜日
今日からゴールデン・ウィークの方も多いんじゃないですか?
なんと10連休もあり!
どこ行っても混むんだろうなあ~と思いながらも、どこかへ行きたくなるんですよねー。

’69年 3月

2019年は、ロック・ビッグ・バンから50年
その3月には、ビートルズのポールがリンダ・イーストマンと、ジョンがオノ・ヨーコと結婚しました。
ポールが12日で、ジョンが20日のことでした。

いつからフルネームで・・

いつからか、ポールをポール・マッカートニーと、ジョンをジョン・レノンと呼ぶようになったのは、
丁度、このころからかな?なんてふいに思いました。
ビートルズは、1月にルーフトップライブをし、その音源のトラックの扱い方ですったもんだして、前後してアルバム「アビー・ロード」をリリース、実質的なラストアルバムになったかと思いきや、「レット・イット・ビー」がリリースされて、個人的には、「ゲット・バック」が好きなので、お蔵入りしなくて嬉しかったですが、バンドとしては、終焉に向けて着実に歩みを進めていました。
一つの時代に区切りがついた瞬間だったんですね。
やっぱり、その頃からですかね、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと呼ぶようになったのは・・・

ハイド・パーク

’69年は、様々なコンサートが開催された年でもありました。

ロンドンのハイド・パークでは、ブラインド・フェイスが出演していました。

クリームを解散させたエリック・クラプトンは、ジンジャー・ベイカーと組み、リズム隊にリック・グレッチ、そして個人的には不思議な組み合わせなのですが、スティーヴ・ウインウッドと同じ道を歩む決心をしてこのグループが出来上がったんですが、
エリックは、ジャック・ブルースとけんかしたわけでは無かったと思いますので、ジャック抜きでジンジャーと組むことに結構躊躇したんじゃないのかな?と想像するのは難くないですよね。

ブルースを突き詰めたいエリックと、ジャズ志向に進み始めたスティーヴが友人とは言え、バンドを組むにはジンジャーが必要だったんでしょうか?

そりゃこのメンバー揃えば、世間は大騒ぎだったでしょうね。

危うく見えるバンドの作品は粒ぞろいですが、危ういから光が増したんでしょう、アルバム一作を残して彗星のように宇宙の彼方に行ってしまった、という感じでした。

エリックがソロになってもセット・リストに入っている曲

Presence of the Lord

いや~、50年前の雄姿、みんなカッコいいですね。

次は、2007年当時のエリックとスティーヴ、40年近く経っても粒が光っている曲です。

Presence of the Lord

 

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