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【ロックなメローお勧め】 ロイヤル・アルバート・ホール ・・やっぱりクラプトンかな?24夜連続記録公演の記録がプレミアムです

こんにちは、メローです。

今回はロックの街「ロンドン」

音楽の聖地のひとつですね。
ロニー・スコッツ・ジャズ・クラブがあり、ハイド・パークがあり、
そして、ジミ・ヘンドリックスの体調が急変したサマルカンド・ホテル・・・

ジミの死亡証明書に帰された住所にあるカンバーランド・ホテル、

ロニー・スコッツのライヴで一番最初に頭にくるのは誰でしょうか?
個人的には、ジェフ・ベックかなあ、
ヴィニー・カリウタのドラムスとタル・ウィルケンフェルドのベースを、リズムセクションに擁した、夢のようなライヴが展開されましたね。
それに、エリック・クラプトンがゲストで出てきてビックリです。
宝のモノのようなライヴ映像になりました。


ハイド・パークでは、ブラインド・フェイスがデビュー・ギグを演り、

ローリング・ストーンズは、ミック・テイラーのお披露目のはずが、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートになったなんて場所です。

ロイヤル・アルバート・ホール

さてさて、もう一つの聖地は、なんて言ったってロイヤル・アルバート・ホールですね。

沢山のミュージシャンがライヴ音源を残しています。

ヴィクトリア女王の夫のアルバート公(ウィキペディアによると、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバーという名前とのことです。)が、1851年に世界初の万国博覧会を開催し、その収益金をこの建物に注ぎ込んだことにより、【アルバート】と名前が付きました。
出来上がったのは、1871年のことです。

19世紀のことですので、オペラとクラシックがメインで、今のようにロックに門戸が開かれたのは、1963年といいます。
一番手はビートルズ、順当ですね。
同じ年の秋には、ビートルズに加えローリング・ストーンズがステージに立ち、
ロイヤル・アルバート・ホールは、ロックの伝説の場所になって行きました。

少しだけ開いた重い扉をグイっと押し広げたのは、やっぱりローリング・ストーンズだったんです。

’69年、ロックのビッグ・バン元年の6月には「ポップ・フェスティバル」が開催され、
ザ・フーにレッド・ツェッペリン等々・・が出演しました。
ビッグ・バンのエネルギーがロイヤル・アルバート・ホールを変えていった瞬間だったんですね。

その長い歴史の中で、エリック・クラプトンは特別だと想い入れちゃいます。
クリームの解散コンサートであったり、再結成コンサートの場であったりと、心がホットになります。
また、’90年の18夜連続公演、’91年には24夜連続公演(この24夜連続は、ロイヤル・アルバート・ホールの記録になっていると思うんですが・・)をしていますね。
しっかり音源も残っていますのでいつまでも楽しめます。

24ナイツ

エリックの24ナイツは’90・’91年のコンサートからのコンビ音源ということで、
スタジオ・アルバムでは、「ジャーニーマン」をリリースした翌年・翌々年なので、軽快な曲が散りばめられて、これはこれでレアな感じで宝物です。

Bad Love

「ビハインド・ザ・サン」、「オーガスト」でプロデュースに起用したフィル・コリンズから、ラス・タイトルマンに変わったアルバム「ジャーニーマン」に収録されているナンバーです。

賛否両論あると思いますが、個人的にはフィル・コリンズと組んだことは、天地がひっくり返るくらいの出来事でした。
60年代・70年代のエリックをずっと追い続けていた者にとって、
’81年以来4年ぶりにリリースされたビハインド・ザ・サンの衝撃は、表現のしようが無いムズムズ感がありました。

 

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