こんにちはー。
8月に入り遂に暑い夏がやってきましたねぇー!
暑いけど、やっぱり太陽と青空の下で野球をやるのが一番気持ちいいですね。
今日はそんな気持ちのいいストレートを投げる投手のことを書きます。
松坂世代のストレート勝負にコダワル男【藤川球児】
阪神タイガースの中継ぎとして今も活躍する藤川球児投手。
1980年生まれの松坂世代の中で今も現役を続ける数少ない選手の1人です。
画像引用元 Wikipediaより
藤川球児(ふじかわ きゅうじ)
1980年7月21日生まれ(39歳)
高知県高知市生まれ
身長185センチ 体重89キロ
高知商業高校から1998年ドラフト会議にて阪神タイガースからドラフト1位指名を受け入団。
1980年生まれの西武からドラフト1位指名されたスーパースター松坂大輔を中心に松坂世代と呼ばれる当たり年の選手たち。
みんな松坂大輔を倒すことを目標に日々練習に励んだんでしょうねぇー。
藤川球児は先発投手として期待されての入団でしたが、なかなか芽が出ずでしたがターニングポイントは2004年。
肩の故障もあり二軍生活を送っていた時にフォーム改造と中継ぎ転向を果たしシーズン後半には一軍に定着しました。
2005年には背番号を22番に変更しセットアッパーとして定着しジェフ・ウィリアムズ、久保田智之とともに勝利の方程式『JFK』として活躍しました。
中継ぎとしても最優秀中継ぎ投手賞を2回、阪神の抑えとして2度のセーブ王にも輝きました。
日本国内で200セーブを達成し、遂に2012年12月にアメリカ大リーグのシカゴ・カブスと契約をかわしメジャーリーガーになるが、右肘の故障などのため目立った活躍はできず、最後はテキサス・レンジャースから自由契約に。
四国アイランドリーグを経て現在は阪神タイガースに復帰して活躍しています。
年齢的には残り少ない現役生活になるかと思いますが、アラフォーで150キロを投げるって凄いなぁー。
分かっていても打てない『火の玉ストレート』
藤川球児といえば野球ファンならば必ず『ストレート!』と答えてくれるくらい印象的。
球速は150キロを超えるスピードで速いのですが、それ以上にノビが凄い!
相手打者はストレートが来ると分かっているのにボールの下をバットが空を切ります。
印象的だったのは2006年オールスターでの強打者カブレラ、小笠原への全球ストレート勝負での空振り三振。
パ・リーグを代表する強打者2人に対して全球150キロ超えのストレートで空振り三振!!!
ボールがミットに対して下からホップしていくかのような凄いノビのあるストレートでしたね。
今見ても興奮するわぁーーー。
この火の玉ストレートの秘密はボールの回転数が多いことによる球のノビ。
それを生み出す独特の握りがあります。
ボールを握る時に人差し指と中指は指1本〜2本くらい間隔を開けるのですが、藤川球児投手はピッタリとくっつける独特の握りをします。
これをすることでボールに指がよくかかりスピンが効くんですが、コントロールがつきにくくなるんですよね。
ノビのあるストレートを投げたいなって方は試してみてくださいね。
でも、コントロールつきにくいんでご注意を。
このスピン量が藤川球児の凄さですね!
忘れてはいけない独立リーグからの復活
藤川球児の今の阪神での活躍を見ているとついつい忘れてしまいそうになるのが独立リーガー時代。
アメリカ大リーグへの挑戦を3年目の5月で戦力外となってしまった藤川球児投手はNPBへの復帰も噂されましたが出身地でもある四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスへの入団を決めました。
登板試合ごとにチームと契約を結び無報酬での登板を続けました。
しかもチケット売上から10%を児童養護施設へと寄付するという条件付き。
NPB移籍復帰期限の7月31日を超えてしまったため後期シーズンは告知ファイティングドッグスと契約をしたが引き続き報酬は受け取らない条件での契約。
四国アイランドリーグplusでは6試合の登板で2勝1敗(2完投・1完封)で33回を投げ47奪三振、防御率0.88とさすがの成績を納め、その年の11月24日に阪神タイガースと正式に2年契約を結びNPB復帰を果たしました。
ケガでメジャーリーグを自由契約になった後にすぐにNPBに復帰するのではなく、独立リーグを経由してのNPB復帰という過去に例を見ない復帰の仕方を選択したとこが凄いっす。
39歳となった今も活躍できているのは、独立リーグでの1年があったからこそではないかと思います。
ケガからの身体の復調具合を確かめながら自分のペースで調子を取り戻し、実力を証明した上で阪神に戻って居場所を取り戻したんですねー。
あのままNPBに復帰していたら身体に無理をして復活へのペースを上げてしまってたかも知れません。
もしスローペースで調整をしていたらファンやマスコミから心無いことを言われてしまっていたかも知れませんね。
藤川らしい自分の信じる道を突き進む復帰ロードでしたね。
これからも長く活躍して欲しい選手ですし、40歳を超えても150キロを超えるスピードボールを投げてくれることを願ってます。
それでは、またっ!