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アジア人として最もNBAで活躍した『歩く万里の長城』【ヤオ・ミン(姚明)】

アジア人として最もNBAで活躍した『歩く万里の長城』【ヤオ・ミン(姚明)】

こんにちはー。
アジア人が活躍することが難しいと言われているNBAで活躍した中国人選手のご紹介です。
とにかく大きくてリーグ屈指のセンターとして一時代を築いた素晴らしい選手。

歩く万里の長城【ヤオ・ミン(姚明)】

バスケットボールの最高峰であるNBAにドラフト全体1位で指名された中国人選手がいました。
ヒューストン・ロケッツで一時代を築き、背番号11は永久欠番となったほど認められたプレイヤーでした。

画像引用元Youtubeより

ヤオ・ミン(姚明)
1980年9月12日生まれ
中華人民共和国・上海市出身
身長229センチ 体重141キロ

身長208センチの父と身長188センチの母の2人の元バスケットボール選手の間に生まれたヤオ・ミンは9歳でバスケットボールを始めます。
10歳の時には180センチ、13歳になる頃には身長は2mにまで達し、中学生でユース代表チームに選ばれ、17歳で地元の上海シャークスと契約し、中国プロバスケットボールリーグプレイヤーとなりました。
チームでも大活躍し、20歳にしてリーグMVPを獲得する活躍が認められ2002年のNBAドラフト全体1位でヒューストン・ロケッツから指名されて入団。
ルーキーイヤーから全試合出場をしてはいましたが、周囲からは期待外れとの声が出ることも。
3年目の2004−2005シーズンには2年連続でNBAシーズン得点王に輝いていたトレイシー・マグレディがロケッツに加入し、チームの勝率を6割にまで上げる活躍を見せるものの、2005年シーズン以降は足の怪我に悩まされることに。
毎シーズン30試合前後の欠場をしいられ2011年7月20日に度重なる怪我の影響のため現役引退を表明。
長身から放たれるダンク、フックシュート、ジャンプシュートといった様々なシュートを使いこなし、ゴール下でのムーブは『上海シェイク』と呼ばれました。
ビッグマンながらフリースローも得意で柔らかなシュートが魅力でした。
ディフェンスではゴール下での高さは驚異でブロックショットを量産する素晴らしいプレイヤーで、リーグを代表するセンターの1人でした。
NBAオールスターも8回選出されるほど実力は認められていたんです。

規格外の大きさとパワーですね!
229センチでこれだけ動けるのは凄いっすわ。

怪我がなければもっと活躍できただろうなと少し残念ですが、ヤオ・ミンの名は2000年代の素晴らしいプレイヤーとしてNBAの歴史に名を刻みました。
ヤオ・ミンに続くようなアジア人の活躍を楽しみにしたいと思います。
それでは、またっ!



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