こんにちはー。
僕の所属させてもらっている少年野球チームもついに全体練習スタート。
久し振りの心地よい疲労感が残ってます。
プロ野球も練習試合の様子がテレビ中継されるなど日常が戻りつつあります。
スポーツニュースにも活気が出てきましたね。
虎のリードオフマン【赤星憲広】
実は僕の住む隣の刈谷市出身の元プロ野球選手の紹介です。
年齢も1つ違いなので、応援してた選手です。
画像引用元 Youtubeより
赤星憲広(あかほし のりひろ)
1976年4月10日生まれ
愛知県刈谷市出身
身長170センチ 体重66キロ
少年野球コーチをしていた父の影響で野球に親しんで育つも父がコーチをしている間は入れさせないとのことからサッカーを始めるも、約束通り父がコーチを辞めてから入団しキャプテンも務める。
小学6年生の頃にはサッカーの愛知代表にも選出されたこともあるくらい運動神経抜群。
刈谷南中学時代は軟式野球部に所属し、高校は大府高校へと進学することに。
1年秋からレギュラーとして活躍し、2年春、3年春と選抜甲子園大会にも出場。
僕が高校1年生の頃に大府高校さんと練習試合をしたのですが、途中から中継ぎでマウンドに上がるも調子が悪過ぎてストライクが入らず速攻降板した記憶があります(笑)。
内容自体はあまりに悪過ぎて打者との対戦というよりも合わないマウンドとの戦いだったっす。
高校時代一番悪かった日が大府高校さんとの試合の時だったなぁー。
高校卒業後は亜細亜大学へと進学し、2年次より外野手へと転向し4年秋には1番中堅手として神宮大会での優勝も経験。
大学卒業後は社会人野球のJR東日本へ入社し2000年シドニーオリンピック強化選手にも選ばれオリンピックにも出場。
2000年NPBドラフト会議にて阪神タイガースより4位指名を受けて入団。
ルーキーイヤーから開幕1軍を勝ち取り、中堅手として活躍し盗塁王と新人王のダブル受賞をする活躍。
その後も虎のリードオフマンとして俊足を活かし5年連続盗塁王を獲得する活躍を見せました。
長打こそ少ないが出塁して盗塁を決めるというチームを引っ張るリードオフマンでした。
レギュラーとして活躍していたのですが、2009年の試合中の怪我の影響で9年で現役引退となってしまいました。
小柄ながらも存在感抜群の赤星さんの早過ぎる引退は残念でしたが、ファンの記憶に残る名選手でしたね。
決死のダイブによる怪我で引退
赤星さんの引退につながってしまったプレーとして有名なのが右中間の打球への決死のダイブ。
2009年シーズン当初から肩の痛みや腰部のヘルニアに苦しんでおり、体調万全とはいえない状況での試合出場を続けていたそうです。
そして2009年9月12日の横浜ベイスターズ戦で右中間への打球に対しダイビングキャッチを試みたプレーでしたが、着地の衝撃から首を痛めてしまい動けずトレーナーに担がれて退場となったプレー。
頚椎椎間板ヘルニアの悪化とともに、中心性脊髄損傷を追ってしまい腕への痺れ等の痛みが残ってしまいリハビリを続けるも、球団から引退勧告を受けシーズン終了後に現役引退となりました。
飛び込んだことに後悔はありません。
野球選手の本能としてやったことなので。
それよりも、もう少し寄っておけば捕れたのに…と考えてしまう。
引用元 Wikipediaより
インタビューでもこのように答えた通り、1試合1試合を全力でプレーした赤星選手らしいなと感じます。
とても残念ではありますが、引退後もニュース番組などで赤星さんの姿が見られるのはちょっと嬉しいです。
いつかは指導者としてユニフォームを着て欲しいなと思ったりもしますが、中学硬式野球チーム『レッドスターベースボールクラブ』のオーナーとして指導もしているようですので、プロ野球の世界には戻らないのかも知れませんね。
元プロ野球選手が指導者としているチームって羨ましいですね。
盗塁数と同じ数の車椅子を寄贈
赤星さんは2004年に社会福祉活動に貢献したプロ野球選手に贈られるゴールデンスピリット賞を受賞しています。
2003年から毎年その年に記録した盗塁数と同じ数の車椅子を養護施設や病院に寄贈していたんです。
きっかけはあるファンのために球場で試合が観戦できる特別な車椅子を作ったことで、加えて足の不自由なファンからファンレターが多く届いたこと、看護師をしていたことのある姉から病院などの施設で車椅子が不足していることを聞いていたこと、さらにプロ野球選手になるという長年の夢をかなえたことで「夢はもう何もないが、夢を達成できたからこそ、今度は人に夢を与え続けなければならない」という心境に至ったことも作用した。
引用元 Wikipediaより
心優しきスピードスターだったんですね。
このエピソードだけはしっかりお伝えしたかったんです。
こういうプロ選手の社会貢献活動は素晴らしいことなので、ぜひ知ってもらいたかったんです。
平成時代を駆け抜けたスピードスター赤星さんは本当に速かったなぁー。
NPB通算盗塁数381は歴代9位の記録を残しています。
新たな虎のリードオフマンとして近本選手が受け継いで、今後も走りまくってくれるんでしょうね。
今日はレッドスター赤星憲広選手のことを懐かしがりながら書いてみました。
野球ファンを楽しませてくれる韋駄天の登場を楽しみにしたいと思います。
それでは、またっ!