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シカゴ・ブルズの3連覇を支えたジョーダンの相棒【スコッティ・ピッペン】

シカゴ・ブルズの3連覇を支えたジョーダンの相棒【スコッティ・ピッペン】

こんにちはー。
野球ばかりではアレなのでバスケブログを書きます。
NBAシーズンが開幕していないので、往年の名選手のことを。

3連覇を支えたジョーダンの相棒【スコッティ・ピッペン】

エースのマイケル・ジョーダンを中心に6度のNBAチャンピオンを経験したシカゴ・ブルズで活躍したSF。
特に2度目の3連覇となった1996−1998時はピッペンの存在なしには成し遂げられなかったとも言われています。
マイケル・ジョーダンデニス・ロッドマンとともにシカゴ・ブルズ史上最高のBIG3と呼ばれるほど。

マイケル・ジョーダンにあって、コビー・ブライアントとレブロン・ジェームズになかったもの——それは、「スコッティ・ピッペン」である。
引用元 THE DIGESTより

上記のように評されるほどの素晴らしいジョーダンの相棒でした。
まずはBIG3の動画をご覧くださいませ。

この3人が揃ったシカゴ・ブルズは最高だったなぁー。
攻守にわたってオールラウンダーとして大活躍のピッペンでした。

画像引用元 Youtubeより

スコッティ・モーリス・ピッペン
1965年9月25日生まれ
アメリカ・アーカンソー州ハンブルク生まれ
身長203センチ 体重103キロ

12人兄弟の末っ子として生まれたピッペンは兄たちとともに幼少期からバスケットボールをプレイするも、高校でもレギュラーになれたのは4年生になってから。
食事も思う存分食べることができないような状態だったため、ガリガリに痩せていたそうです。
有名大学からのスカウトもなく、大学はアーカンソー中央大学に進学できたが当初はマネージャーとして入学し、奨学金を受ける生徒に欠員が出たことでピッペンが奨学金をもらいプレーできることに。
奨学金により食生活が改善され高校時代から身長も15センチほど、体重も30キロほど増加し才能が開花。
大学と所属リーグがマイナーだったためプロからは注目されることはなかったが、シカゴ・ブルズのGMの目に留まりNBAへの道が拓けました。
1987年NBAドラフト全体5位でシアトル・スーパソニックスから指名を受け、直後にトレードでシカゴ・ブルズへ入団。
当初ブルズは2巡目の後半あたりでの指名を考えていたのですが、1巡目6位の指名権を持っていたサクラメント・キングスが指名するかも知れないとの情報を仕入れ、5位指名権を持つシアトル・スーパーソニックスにドラフト後にトレードするという話を持ちかけて、まとめたんですって。

入団後のピッペンは期待以上の成長と活躍を見せます。
ルーキーイヤーはベンチスタートでしたが、毎日の練習ではジョーダンに直接鍛えられて成長し、翌年にはスターターを勝ち取り、以降はジョーダンの相棒としてブルズの中心選手となります。
シカゴ・ブルズでは2度の3連覇で6度のNBAチャンピオン、オールスターにも7度出場するなどスター選手として活躍しました。
1997ー98シーズン終了後にマイケル・ジョーダンとHCのフィル・ジャクソンが揃って引退するとヒューストン・ロケッツへと移籍。
しかし、思った活躍はできず一年後にポートランド・トレイルブレイザーズへと移籍するもNBAチャンピオンには到達できず。
2003年にシカゴ・ブルズへ復帰するもシーズン終了後に現役を引退となりました。
ピッペンの全盛期はやはりシカゴ・ブルズ時代が最高の輝きを放ってましたね。

 

卓越したディフェンス能力

得点もリバウンドも取れるし、アシストもできるオールラウンダーとして活躍したピッペン。
一番素晴らしい能力は、彼のディフェンス能力です。
スティールが上手い印象ですが、パスカットの能力がとても印象にあります。
ポストプレーをしようとする相手フォワードへのパスをスッと身体を入れ替えてパスカット!
そしてスティールからの速攻も印象に残ってます。
ディフェンス能力の高いデニス・ロッドマンとともにブルズのディフェンスを支えた選手だったんですよね。

NBA史に残る素晴らしいプレイヤー、スコッティ・ピッペンのご紹介でした。
それでは、またっ!



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