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かつての剛腕投手からパワーカーブを武器にモデルチェンジした五十嵐亮太も引退。

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
プロ野球も両リーグとも福岡ソフトバンクホークスと読売ジャイアンツのリーグ優勝が決定。
シーズンも終盤になってきましたね。
今日は今シーズンで引退となる偉大な投手の若い頃もご紹介したいと思います。

メジャーリーグへも挑戦した中継ぎ投手【五十嵐亮太】

古巣の東京ヤクルトスワローズで10月25日に行われた中日戦で最後の登板を果たしました。
初球のストレートでサードゴロに打ち取って投手交代。
引き際も五十嵐投手らしくて清々しい感じでした。

今日はそんな五十嵐亮太投手のことを振り返りたいと思います。

画像引用元産経ニュースより

五十嵐亮太(いがらし りょうた)
1979年5月28日生まれ
北海道留萌市出身
身長178センチ 体重95キロ

北海道で生まれ育ったのは千葉県。
千葉県千葉市花見川区の柏井ジャガースで野球を始め、中学時代は千葉北リトルシニアに所属。
敬愛学園高校に進学後、一塁手から投手へと転向し県内屈指の剛腕投手と呼ばれるほどの投手に。
1997年のNPBドラフト会議にてヤクルトスワローズから2位指名を受けてプロ入り。
2年目の1999年は開幕こそ二軍で迎えるも4月に一軍昇格し初登板を果たし、中継ぎのみの登板で6勝を挙げる活躍。
以降は貴重な中継投手として活躍を続け、2004年には抑えも経験するが2006年に右肘靭帯断裂の怪我でトミー・ジョン手術による長期離脱も経験。
2009年にFA権を行使しアメリカメジャーリーグへ挑戦。
ニューヨーク・メッツ、ピッツバーグ・パイレーツ、トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースと渡り歩くも大きな活躍は見せることができず、2013年シーズンに福岡ソフトバンクホークスへ入団しNPB復帰。
貴重な中継ぎ投手としてリーグ優勝や、日本一にも貢献。
2018年シーズン終了後に戦力外通告を受けるも、古巣の東京ヤクルトスワローズへの移籍が実現。
2019シーズンは活躍するも、2020年シーズンはコンディション不良により二軍生活が続きこの年限りでの引退を表明し、10月25日の引退試合となりました。
中継ぎのみで日米通算905試合(NPB822試合、MLB83)に登板ですが、通算70勝(NPB65勝、MLB5勝)も挙げています。
これって凄いことだと個人的には思ってます。
先発ではなく、登板数の多い中継ぎでこれだけ長く活躍したって凄い投手だったんですよー。

剛腕投手からモデルチェンジ

若い頃の五十嵐亮太投手は、当時の日本最速記録だったMAX158キロ、150キロオーバーのストレートで三振を奪いまくる剛腕投手。
小さなテイクバックから放たれるストレートは本当に凄かったっす。
なんせ投球の7、8割がストレートでしたからね。
待っていても打てないストレートが凄かったなぁー。

速かったけど、この頃はコントロールも悪かったんですけどね(笑)。
トミー・ジョン手術から復帰した後にコントロールも向上し、メジャーリーグで習得したナックルカーブとカットボールを習得。
NPB復帰後はストレートも一時期よりは球速は落ちるが鋭いナックルカーブを武器に活躍しモデルチェンジ。
ソフトバンクホークス以降に知った方は剛腕投手の印象は薄いでしょうね。
それくらいキレのあるナックルカーブの印象が強い投手になっててビックリでした。
パワー投手がモデルチェンジするのってなかなか難しいのですが、見事に成功したことで長く現役生活を続けることができたんです。

ナックルカーブのキレがハンパないっすね。
引退は悲しいですが、本当に長いこと投げ続けてきてお疲れ様でしたと言いたいとこ。
最後は古巣で引退できるって素晴らしいことですね。

パワーピッチャーはみんなの憧れですし、またこういう投手が現れるのを楽しみにしたいです。
五十嵐亮太投手、お疲れ様でした!
それでは、またっ!



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