こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
昨日のブログではプロ野球選手の声出しについて書きました。
過去記事に飛びます→どんな声出せばいいのかと悩む野球少年に参考にして欲しいプロ野球選手の声掛け。
今日はこの記事でも紹介したムネリンこと川﨑宗則選手について書きます。
薩摩のイチロー【川﨑宗則】
NPBからアメリカのMLBにチャレンジし、現在はルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスにてプレイする川﨑宗則選手。
明るいキャラクターで人気の川﨑宗則選手ですが、今の野球少年たちには馴染みは薄く、面白い元気なオジサンって思われてます。
凄い選手だったんだよってことを知ってもらいたいと思って書きます。
画像引用元 Wikipediaより
川﨑宗則(かわさき むねのり)
1981年6月3日生まれ(39歳)
鹿児島県姶良市出身(旧姶良郡姶良町)
身長180センチ 体重75キロ
兄の影響で野球を始め、小学生時代は重富少年野球クラブにてプレーし、重富中学校時代にイチローに憧れて左打ちに。
高校は鹿児島県立鹿児島工業高校へ進学するも甲子園出場は叶わなかったものの、俊足巧打で安打数の多さから地元では『サツロー(薩摩イチロー)』と呼ばれるほどの選手に。
1999年のNPBドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから4位指名を受けプロ入り。
1年目からウエスタン・リーグで遊撃手として起用されチームトップ(リーグ5位)の打率.300を記録。
2年目も実力は証明しつつもホークスの厚いレギュラー陣の壁を崩すことができず、初出場は2001年10月3日の1試合。
2002年もウエスタン・リーグで打率.367を記録する中、9月には正二塁手の井口資仁選手の戦線離脱に伴って36試合に出場。
2003年は正遊撃手・鳥越裕介選手の故障により開幕スタメンを果たし、鳥越選手の復帰後は小久保裕紀さんの長期離脱で空いた三塁手に回り初の規定打席到達。
2004年シーズンからは遊撃手のレギュラーに定着し打率3割も達成し、最多安打・盗塁王・ベストナイン・ゴールデングラブ賞も獲得。
以降は福岡ソフトバンクホークスの正遊撃手として長く活躍をしました。
俊足巧打で守備も上手く三拍子揃った素晴らしいプレイヤーだったんですよ。
侍ジャパンとしてもWBCに2006年、2008年と出場し金メダルに貢献し2008年北京オリンピック野球日本代表にも選出される日本を代表するプレイヤーでした。
2011年シーズンまで福岡ソフトバンクホークスでプレーし、チームになくてはならない選手として大活躍をしたんですよ。
イチローに憧れアメリカ挑戦
2011年シーズンオフに海外FA権を行使し、アメリカ挑戦を目指すことになった川﨑選手。
イチローの所属するシアトル・マリナーズ入りを強く希望し、叶わなかった場合はホークス残留。
2015年1月5日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングには招待選手として参加し結果を残してメジャー昇格し、4月7日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。
主に代走や守備固めでの出場となり、シーズン終了後には自由契約。
2013年3月13日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約となり、4月には故障者も出たことでメジャー昇格を果たします。
2015年シーズン終了後にFAとなり、2016シーズンはシカゴ・カブスへと活躍の場を移すもマイナーと行ったり来たりとなり、2017年3月28日に契約解除となってしまいます。
レギュラーではなく、大きな活躍は見せれなかったけど、MLBで5年もプレーしたってことが凄いですよね!
ムネリンのメジャー時代のプレーをどうぞ。
特にトロントのファンからとっても愛された選手でしたね。
守備は抜群ですわぁ!
NPB復帰から台湾リーグ・独立リーグへ
シカゴ・カブスから自由契約となり、福岡ソフトバンクホークスへの復帰が決まった2017年シーズンは4月28日に一軍戦に出場するが両足のアキレス腱の治療に専念すべく7月に出場選手登録を抹消となり42試合の出場に止まりました。
そして2018年シーズンはケガ以降の体調不良が続いてしまいプレーできず自由契約選手という扱いとなり、このまま引退かと思われた2019年7月に台湾プロ野球の味全ドラゴンズに選手兼任コーチとして現役復帰。
しかし、2019年シーズンは試合出場することはできず、2020年シーズンこそはと思っていたが新型コロナウィルス感染拡大の影響で台湾に渡ることができず、地元九州で練習の日々。
2020年8月に独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスへの入団が発表され、2021年も再契約を結び栃木でプレーすることとなりました。
それでは、2021年初打席の様子をどうぞ。
今年も現役で川﨑宗則選手のプレーが見られるってのが嬉しいですね。
これからも野球の楽しさを伝えていってくれるのを楽しみにしながら応援したいと思います。
NPBだけが野球の全てではなく、いろんな野球に目を向ける機会になってくれたらなと思います。
それでは、またっ!
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