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日本スノーボード界のレジェンド『國母和宏』を見た目だけで判断して欲しくない!

日本スノーボード界のレジェンド『國母和宏』を見た目だけで判断して欲しくない!

こんにちはー。
最近ワイドショーを賑わしてしまっている薬物問題。
僕も大ファンだった日本スノーボード界のレジェンドも、まさかの出来事でした。
法を犯してしまったことは本当にダメなことですが、それだけではなく彼の本当の姿を知って欲しいです。

世界から認められたレジェンドボーダー【國母和宏】

若くして日本のトップスノーボーダーとして活躍していた國母和宏さん。
石狩市立生振小学校在校中の11歳でプロ試験に合格し、わずか12歳でトップブランドのバートン・スノーボードとプロ契約をするくらいの圧倒的な実力。
2003年には全米オープンに14歳ながら2位となり世界からも注目される存在になりました。
その後も数々の大会で優勝や好成績を残す日本のトップスノーボーダーとして世界から認める存在。
本当に凄い選手だったんですよー。

國母和宏(こくぼ かずひろ)
1988年8月16日生まれ
北海道石狩市出身
身長162センチ

若い頃は世界の大会を転戦していたのですが、次第に活躍の場を映像フィルムの世界へと移していきました。
大会などで選手と競い合うのではなく、自分の滑りやスタイルを映像に残す仕事へ。
ここ最近は特にスキー場等のゲレンデではなく自然の中を滑るバックカントリーでの映像がメインに。
大自然の中で様々なトリックを決める國母さんの姿は超かっこよかったです。

危険と隣り合わせの撮影というのがよーく分かりますよね。
日本のDVDだけでなく、世界中のスノーボードフィルムに個人のパートがあるのは國母さんくらいなんです。
それくらい世界からも認められた凄いスノーボーダーだったんですよ。

東日本大震災翌日のUSオープン優勝

スノーボードの大きな大会でもあるUSオープンで2010年に男子ハーフパイプで優勝。
連覇のかかった2011年USオープンの前日に東日本大震災が起きてしまいました。
そんな状態の中、地震の犠牲者に捧げる勝利を勝ち取りました。
優勝後のインタビューでは、こんなコメントも。

「家族と話して、みんな無事だとわかったんですが、まだコンタクトが取れていない友人もいて」「この勝利が日本に少しでも喜びを届けることができればいいと思います。」

「(地震のニュースを知り)ただ言葉もなく、子供の時以来初めて、ニュースを見ながらただ座り込んで泣きました。」
引用元 Wikipediaより

この言葉だけでなく、2011年4月にはJEARS (Support Japan Earthquake Rescue and Support) を通して日本へのサポートを発表しました。
そして2011年5月には帰国してJEARSスタッフとともに福島県の被災地を訪れ、飼い主と離れ離れになってしまったペット達を保護するボランティア活動を行ったそうです。
言葉だけでなく、自ら行動をすることができる人なんです。

2011USオープン優勝時の滑りをご覧ください。
國母のライディングは3:10〜 です。

高いし、キレイなスピントリックですね!!!

経験や高い技術だけでなく、人格面でも後進選手から慕われる存在

2010年のバンクーバー・オリンピックでの着こなしや記者会見での姿から悪童のレッテルを貼られてしまった國母さんですが、後進選手たちから慕われる存在でした。
2014年のソチ・オリンピックへの出場を目指さない意向を示した國母さんに全日本スキー連盟は全日本チームの技術アドバイザーへの就任を要請しました。
国際大会での経験や高い技術面だけでなく、人格面でも後進選手から慕われている点が考慮されました。
見事に銀メダルを獲得した平野歩夢選手とは実質的な師弟関係にもあり、練習だけでなく私生活での面倒を見るなどの報道もありました。
銅メダルを獲得した平岡卓選手も尊敬する選手として國母さんの名前を挙げるほど。

また、友人のプロスノーボーダーが難病を患ってしまった際には治療のための募金活動を立ち上げてサポートしたこともありました。
海外遠征の合間に見舞いにも訪れていたそうです。

世間の評判とスノーボード界での評判がこんなにも違う國母さんですが、元スノーボーダーだった僕としてはやはり偉大なレジェンドだったなという思いです。
今後がどうなってしまうのか心配ですが、社会復帰して後進育成やスノーボード界のためにも戻ってきて欲しいなって思います。
それでは、またっ!

 


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