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『adidas(アディダス)』と『PUMA(プーマ)』街を2分するほどの兄弟喧嘩。

『adidas(アディダス)』と『PUMA(プーマ)』街を2分するほどの兄弟喧嘩。

こんにちはー。
外国製のスパイクに憧れるも幅広甲高な足に合わないから国産メーカーのスパイクを愛用するじょびスポです。
スニーカーだったら多少大きめを履いたりして調整して履くんですが、スパイクはちょっとなぁって感じ。
ということで、今日はスポーツブランドのことを書きます。

adidasとPUMA

今日紹介したいのはドイツ発の世界的なスポーツブランドのadidasとPUMA。
ご存知の方も多いかと思いますが、この2つのブランドのルーツは同じダスラー兄弟が設立した靴製造の会社。
スリッパなどの室内履きを専門とする織物工の父親と小さなクリーニング店を経営する母親との間に生まれたダスラー兄弟が作った靴製造の会社がスタートです。
弟のアドルフが父の影響を受け、母親の洗濯室の片隅で靴作りを始めました。
1924年に兄のルドルフが事業に加わってスポーツシューズを製造するダスラー兄弟製靴工場を設立しましたが、ことあるごとに対立し、1948年に社を解消し別々の会社を立ち上げました。

adidas(アディダス)

画像引用元 みんロゴブログより

adidas(アディダス)は弟アドルフ・ダスラーの設立した会社で、愛称の『アディー』と『ダスラー』をつなげたものです。
三本線が特徴で、シューズやウェアにも採用されている特徴的なデザインでピンと来ますよね。
世界的なスポーツブランドとして確立されてて超人気のブランドです。
 

PUMA(プーマ)

画像引用元 みんロゴブログより

PUMA(プーマ)は兄ルドルフ・ダスラーが設立した会社で、当初はルドルフの『Ru』とダスラーの『Da』を合わせた『Ruda(ルーダ)』という名前だったが、すぐにより軽快な印象のプーマ・シューファブリーク・ルドルフ・ダスラー へと変更。
プーマの社名やロゴは動物のピューマからきており、製品の持つ力強さが表現されたデザインですね。
イメージ的にサッカースパイクのイメージが強いブランドですが、アパレルも人気です。
 

壮絶な兄弟喧嘩が街を2分する

2人が喧嘩別れして2つの会社を起こした理由は様々言われております。

ふたりが袂を分かつこととなった決定的な理由として、兄のルドルフが弟アドルフの17歳年下の若き妻ケーテ(Käthe)を密かに愛してしまったからだという推測もある。
さらに、ルドルフは兵士として戦争に赴いたが、アドルフはそれを免れたこと。ルドルフがアメリカの捕虜になった際、アドルフが救いの手を差し伸べなかったことなどがよく挙げられる。
引用元 デアディダスより

画像引用元 デアディダスより

左がルドルフで右がアドルフ。
そして、この兄弟喧嘩は街を2分することになってしまいます。
両者とも本社をドイツ・バイエルン州ヘルツォーゲンアラウハに構えており、市内を流れるアラウハ川の北側はルドルフの、南側はアドルフの縄張りとなったのです。
ダスラー兄弟の争いは街に住む一般の人たちにも影響してしまいます。

興味深いのは、ふたりの対立が、一般の人々の交友関係にまで影響を与えていたということ。“プーマ派”のパン店ではアディダスファンはパンを買わず、“アディダス派”のレストランにはプーマファンは足を踏み入れることはなかった。
子どもたちも学校へ別々のバスに乗り込む始末。誰もが会うなりシューズをチェックするので、ヘルツォーゲンアウラハはやがてStadt des gesenkten Blicks、いわば「下ばかりを見ている人たちの街」と呼ばれるようになった。当時はプーマとアディダスの従業員同士、あるいはその子ども同士が結婚することさえあり得ないことであったという。
引用元 デアディダスより

マジかぁーーーー。
街の人たちまでガッツリ対立しちゃってたんですね。
スポーツの世界でも同じようにサッカースパイクを製造していたため、様々な確執もあるそうです。
ダスラー兄弟がこの世を去って息子さんたちの代になっても関係は修復されなかったそうです。
現在は、両社ともダスラー家から経営権は離れており、PUMAはフランスの流通大手企業体のケリング社に、adidasはフランス人実業家のロベール・ルイ・ドレフュスが経営権を握っています。
兄弟確執も収束して、これからも良きライバル会社として発展していって欲しいですね!
それでは、またっ!


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