ずっと生きて来てその結果、今の自分が居る、在る
今の身体も心も、ずっと生きてきた現在の最終形
出来上がったものに意識を向けてみたら、知らないことばかり
庭に咲く花や、ぶらっと歩いてみた公園に植えてある木々の名前
陽が傾くのが早くなった夕空に見える星の名前も
それらの名前は何かと疑問に思わず、一瞬思ったとしても次のモノに目が移るともう何も感じない
そんな風に生きてきたんだなあと、つくずく思う
すべてのモノを記憶するなんてできないし、新しいモノを覚えれば何かしら忘れるモノが必要になってくるのが人間の脳だろうか
忘れたとしても、ふっとしたことで記憶してたことが出てきたり
忘却と記憶ってどういう風にできているんだろう・・
心の幸せって、初めて見るようにいろんなモノと接することでつかめるかも知れない
先日、昔のレコード盤をハイレゾ音源に変換できるレコード・プレーヤーが我が家に来た
60年代、70年代の音楽は大好きで、いろんなメディアで日常的に聴いてるから
80年代の音楽をって、「ジャーニー」をかけてみた
そこには成熟した音楽と言うか、『行き詰りかけたのか?』って、当時思ったそのままの世界が広がると思ったが
耳の前に出てきた40年近く前の曲は、行き詰ったではなく、違う方向に広がれるスペースを探しているような感じがした
『あっ、新しい』と思った
道に咲いてた名前を知らない花を長い時間が経過したあとに、じっと見つめて「これ、なんていう花かな?」と何かいいものを見つけて気になるような感覚
Send Her My Love
奇麗なエレピで始まる「セパレイト・ウェイズ(Separate Ways)」コピーするのにはうってつけの曲の次に配された「Send Her My Love」
コーラスの部分が覚えていないと思ってた記憶から蘇ってきた
Send her my love
Memories remain
Send her my love
Roses never fade
Send her my love
今まで生きてきた自分に、いっぱい届けたいものがこれから見つかるような気がする