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沖縄高校野球の父、裁監督をモチーフにした映画【沖縄を変えた男】

沖縄高校野球の父、裁監督をモチーフにした映画【沖縄を変えた男】

こんにちはー。
週末少年野球コーチのじょびスポです。
今日は野球をテーマにした映画のご紹介。
Amazonプライム・ビデオで無料で見れましたので、興味ある方はどうぞ。

ゴリ主演映画【沖縄を変えた男】

豊見城高校、沖縄水産高校で甲子園にも何度も出場した裁弘義監督をモチーフにした映画『沖縄を変えた男』。
沖縄高校野球の父とも言われたほど沖縄に貢献した、そして甲子園に情熱を掛けた裁監督。
沖縄出身のガレッジセール・ゴリが主演、実話を元にしたフィクション映画です。

画像引用元 映画.comより

沖縄水産高校野球部で監督を務め、夏の甲子園大会で1990、91年の2年連続準優勝へと導いた栽弘義の実話をベースに映画化したドラマ。栽が歴任した小禄、豊見城、沖縄水産高校時代で実際にあった数々のエピソードや、一貫した思想を凝縮して描いた。琉球水産高校に赴任し、野球部の監督を務めることになった栽弘義。グラウンドも荒れ、廃部寸前だった野球部を甲子園優勝へ導くため、栽は部員たちに過酷なトレーニングと苛烈な指導で容赦ない試練を与えていく。試練を耐え抜いた部員たちは、栽が掲げる甲子園優勝も夢ではないと思いはじめる。主人公の栽監督役を「ガレッジセール」のゴリが演じる。
引用元 映画.comより

当時の時代ということもありますが、スパルタ指導で厳しいと有名だった裁監督。
映画ではちょっとやり過ぎだなと感じるシーンが多々ありましたが、実際はどうだったんでしょうね。

甲子園に賭ける選手、裁監督の想いを中心に見てもらえたらなと思います。
個人的には野球映画でのプレーや備品等にすぐ目がいってしまうので、試合用ユニフォームに協賛企業のSSKのロゴが入っているのは高校野球ではありえないと、スパイクが金属歯ではなくポイントだったり、スイングが素人だったりとかそういうのがついつい気になっちゃうんですよね(笑)。
↓Amazonプライム・ビデオでご覧くださいませ。

沖縄高校野球の父【裁弘義監督】

僕のイメージは沖縄水産と言えば裁弘義監督。
正直、豊見城高校時代は記憶にないですが、甲子園には春・3回、夏・3回の出場。
沖縄水産高校では、春・3回、夏8回の出場で準優勝2回を記録した沖縄の名監督で沖縄高校野球の父とも言われる方。
スパルタ指導で鉄拳制裁もあったと言われてますが、地元・沖縄の子供たち、沖縄の野球のためにと全てを捧げてきた方。
教え子からはとても慕われているため、スパルタ指導の裏には愛があったんだなと思われます。
そうじゃなきゃ厳しい指導に生徒たちもついてこないし、結果も出ないと思います。

裁弘義(さい ひろよし)
1941年5月11日〜2007年5月8日(享年65歳)
沖縄県糸満市出身

沖縄県糸満市に生まれ、4歳の時に沖縄戦に遭遇し3人の姉を失い、自身も背中に重傷を負ったほど。
糸満高校時代は現在のように一県一代表制ではなく夏の沖縄大会を優勝しても、九州の学校との決定戦に勝たないと甲子園には出場できなかったそうです。
残念ながら選手としての甲子園出場経験はなく、卒業後は中京大学へ進学し指導者としての道を目指しました。
大学卒業後は小禄高校に赴任し高校野球監督としてのキャリアをスタートさせ、1970年に初めて夏の沖縄大会優勝を果たしが、宮崎県代表との代表決定戦には敗れ甲子園大会出場は果たせませんでした。
1971年に豊見城高校に転任し、春夏合わせて6回の甲子園出場。
その後、学区制が採用されて選手を集めにくくなったことや、グラウンドなどの設備の不十分さなどから限界を感じ1980年に沖縄水産高校に転任。
沖縄水産高校では春夏合わせて11回の甲子園出場で準優勝2回。
沖縄野球を全国に名を轟かせた名将です。
残念ながら65歳という若さで亡くなってしまいましたが、裁監督が残した沖縄野球は今も受け継がれて全国でも有数の野球の盛んな県となっています。
厳しさの中に優しさ、深い愛情があったんだなぁー。
そんな動画も見つけたので、時間がある時にでもご覧くださいませ。

こんな名将が現れることを楽しみにしたいと思います。
それでは、またっ!



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