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ピッチの妖精がセルビア代表監督として日本に帰ってきたー!【ストイコビッチ】

こんにちはー。
ここのところサッカー日本代表戦がテレビで連続して見られて楽しい日々が続いてます。
Jリーグもいいけど、代表戦はまた思い入れが違ってきますもんね。
セルビア代表VS日本代表戦も熱い戦いで面白かったですね。

ストイコビッチがセルビア代表監督として来日

試合も楽しみだったのですが、名古屋グランパスエイトで活躍したピッチの妖精が久し振りに来日してくれました。
選手としてだけでなく、監督としてもJリーグを盛り上げてくれたレジェンド。
試合前日の会見では「ベンチからゴールを狙っているので気をつけてください。」とジョークを飛ばしてたそうです。
そうなんです。
名古屋グランパスエイト監督時代にピッチ外にクリアされたボールをストイコビッチ監督が革靴でダイレクトボレーでゴールを決めたことがあったんです(笑)
伝説のプレーは1:40〜です。

凄すぎますね!
 

ピッチの妖精【ピクシー】

ストイコビッチのことを知らない今のサッカー少年のために少し書きたいと思います。

ドラガン・ストイコビッチ
1965年3月3日生まれ
ユーゴスラビア(現セルビア)・ニシュ出身
身長175センチ 体重73キロ

幼少期からサッカーを始め、14歳の時にFKラドニツキ・ニシュの下部組織に入団し、16歳でトップチームに昇格。
18歳でユーゴスラビア代表に招集されるほどの期待の若手選手でした。
1986年にレッドスター・ベオグラードに移籍し、チーム史上最年少でキャプテンに就任して活躍。
1990年1月にはフランスの強豪・オリンピック・マルセイユへと移籍。
1990年のW杯イタリア大会にも出場しベスト8に進出する活躍を見せる。
1991-92シーズンはセリエAのヴェローナへレンタル移籍をしていたが、以降はマルセイユの中心選手として活躍。
しかし、1994年3月にマルセイユの八百長問題によるチームの2部降格を受け、半年間という期限を定めてヨーロッパを離れる決断をした。
1994年6月にJリーグの名古屋グランパスエイトと契約!
超大物外国人選手で、Jリーグに来るなんて思わないほどの現役バリバリの選手だったんですよ。
ということで、日本に来る前のプレーをどうぞ。

圧倒的なテクニックで相手ディフェンスを切り裂く様は、まさにピッチの妖精と呼ぶにふさわしいプレーですね。
移籍当初はテクニックは凄いが、審判の判定に対する苛立ちからカードをもらいまくって退場を繰り返してました。
熱い性格で激しい気性もありながらも、圧倒的なテクニックにファンは魅了されました。
僕が忘れることができないのは、リフティングでドリブルをしたあの試合。
雨の瑞穂陸上競技場はピッチに水溜りができてしまい、ボールが全然転がらない状態。
そんな最悪のピッチ状態の中、伝説のリフティングドリブルが披露されたんです。

その後は海外からのオファーもありながらも2001年の現役引退まで7年間もの間、名古屋グランパスエイトに所属してくれました。
7年間の在籍でリーグ戦178試合に出場し、55得点を記録するもイエローカード69枚、退場処分13回という記録も(笑)。
それでも、ファンはピクシーのプレーに胸を躍らせ、応援し続けたんですよね。
現役引退後は名古屋グランパスエイトで6年間監督も務めてくれ、その後は中国リーグでも監督を務め、2021年から母国セルビアの代表監督に就任。
当初は日本に来るはずではなかった選手ですが、来日後に日本のことが大好きな親日家になってくれました。
僕らグランパスファンはピクシーのことは絶対に忘れないことでしょう。
グランパス時代の素晴らしいプレー集をラストにお届けしたいと思います。

やっぱり凄いわぁー。
またストイコビッチ氏の元気な姿が見られるのを楽しみにしたいと思います。
それでは、またっ!



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