こんにちはー。
大学の卒業旅行はイタリアにセリエAを観に行ったじょびスポです。
ちょうどその頃は中田英寿フィーバーで僕たち日本人をサッカー場で見つけると『ナカーータ!!!』って声を掛けまくってきました。
そんな中、1人のイタリア人が『ナナーーミ!』って声を掛けてきて、嬉しくて思わずハグをしたことを思い出します。
そんな訳で今日はJリーグ創世記のレジェンドプレイヤー名波浩の現役時代を知らない世代に知ってもらいたくて書きます!
日本代表の10番を背負ったレフティー【名波浩】
僕の甥っ子と同じような若い世代には監督のイメージしかない現ジュビロ磐田の名波浩監督。
現役時代には日本代表の背番号10番を背負って活躍してました。
あのW杯初出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』の時も背番号10をつけてフル出場してたメンバーなんですよ!
画像引用元 Jリーグフォトギャラリーより
名波浩(ななみひろし)
1972年11月28日生まれ(46歳)
静岡県藤枝市出身
身長177センチ 体重70キロ
清水商業高校時代には高校総体、ユース選手権優勝も経験する。
高校卒業後は順天堂大学に進学し活躍をして1995年にJリーグのジュビロ磐田に入団。
1年目から左MFのレギュラーを獲得し、日本代表にも選ばれるほどの活躍。
ラモス瑠偉の後継者として10番を託され、W杯アジア予選でもチームを牽引する活躍をみせ、ジョホールバルの歓喜を経験しW杯出場を決める。
1998年フランスW杯でも全試合にスタメンとして10番を背負い出場したほどのレジェンド選手だったんですよぉー!
ということで、名波の現役時代のスーパープレイ集をご覧あれ。
柔らかな左足からのピンポイントパスが観てて気持ちいいーーー!
日本人選手として3人目のイタリア・セリエAプレイヤー
ジュビロ磐田の黄金期を築いてジュビロでのサッカーをやり尽くした感のあった名波は1999年夏にイタリア・セリエAのACヴェネツィアへと移籍。
前年までチームの中心選手だったレコバが移籍した穴を埋める左利きの攻撃的な選手を求めており、移籍が実現。
しかし、下位に低迷し守備に忙殺され攻撃力を活かせずチームのセリエB降格とともに1年で帰国。
実力的には通用してたと思ったんだけどなぁー。
攻撃的にプレーできる時間が少なかったのが名波にとっては可哀想な結果となっちゃいましたね。
ということで、ヴェネツィア時代のプレー動画をご覧ください。
当時のセリエAはボディーコンタクトも激しく名波には不向きな部分もあったかな?
フリーで持ってた時の名波はいい仕事してましたね!
それでもセリエAで2ゴールを挙げたのは立派ですね!
ということで、今日はJリーグ創世記を代表するレフティーのことを書いてみました。
名波浩は素晴らしい選手だったんですよぉー!!!
Youtubeにもたくさん動画があるんで、気になった方は探してみてくださいね。