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ただの辛口サッカー評論家ではなく、エラシコの生みの親【セルジオ越後】

ただの辛口サッカー評論家ではなく、エラシコの生みの親【セルジオ越後】

こんにちはー。
サッカー日本代表のジャマイカ戦が中止となり、代わりに開催されたA代表VS東京五輪世代のU-24日本代表の試合も面白かったですね。
ドリブルが得意な選手も多く、見ていて面白いサッカーが繰り広げられました。
ドリブラーは見ていてワクワクするし楽しいですね。

トップ選手が繰り出すフェイント【エラシコ】

サッカーの有名なフェイントでエラシコという技があります。
アウトサイドで抜くと見せかけてすぐさまインサイドに引っ掛けてボールを逆側に出して抜いていくフェイント。
元ブラジル代表のファンタジスタ・ロナウジーニョが駆使したことで有名になりました。
ブラジルの怪物ロナウド、C.ロナウドやイブラヒモビッチなど世界屈指のドリブラーたちも使う技。
エラシコでゴール付近でかわすとファンも大興奮です。

一発で状況を打開する凄い必殺技ですね!

 

エラシコの生みの親【セルジオ越後】

この超絶足技エラシコを開発したのは、実は日本でもお馴染みのセルジオ越後さんなんです!
ブラジルでもエラシコは有名で、当時の人気サッカー選手リベリーノさんが駆使したことでサッカー小僧たちが真似して習得していった技。
ロナウジーニョもリベリーノに憧れてプレーを真似てたんですね。
ブラジル国内でもエラシコはリベリーノが開発したと思っていた人が多かったのですが、実は日系人の同期に教えてもらったとのこと。
その同期というのがセルジオ越後さんだったんです。
つまりエラシコの生みの親はセルジオ越後さんなんです!

画像引用元 YouTubeより

その辺の話はセルジオ越後さんのYouTubeチャンネル【蹴球越後屋】をご覧ください。

エラシコとは『輪ゴム』のことだったんですね。

セルジオ越後とは

現在は辛口サッカー評論家として活動していますが、実際どんな人なの?って思いませんか。
僕も現役時代を知りませんし、元サッカー選手っていうことくらいしかでしたので、簡単に調べてみました。

セルジオ越後
1945年7月28日生まれ(75歳)
ブラジル・サンパウロ出身

ブラジル・サンパウロで日本からの移民の両親の元に生まれる日系人。
17歳の時にサンパウロの名門コリンチャンスのジュニオール(ユース)のテストに合格。
この時の同期がリベリーノなんですね。
しかし、1年んで契約解除され、鉄骨関係の会社でセールスマンとして2年ほど働き、以降はブラジルの2部チームを渡り歩いた後に、日本の社会人チームからオファーが届き来日。
1972年に日本サッカーリーグ1部の藤和不動産サッカー部(湘南ベルマーレの前身)に入団し1974年までプレー。
テクニックを活かした相手の意表をつくプレーで注目を集めたそうです。
引退後はブラジルに帰国するも1975年に新興チームの永大産業サッカー部でコーチになるも本業の不振で活動停止に。
1978年からコカ・コーラの後援のもと、日本サッカー協会公認の『FIFAさわやかサッカー教室』を開催し、全国津々浦々を回って少年サッカーの指導普及に努めたそうです。
この活動が評価され文部科学省の2006年生涯スポーツ功労者表彰、2013年には外務大臣表彰、2017年には旭日双光章を受賞。
サッカー教室での様子を発見しましたが、子供たちに教えるというよりもプレーして身を持って伝えるという感じみたいですね。

年齢の割に超絶足技で上手いし、マリーシアもさすがです。
でも、これがサッカーですもんね!
2006年にはアイスホッケーチームのH.C.栃木日光アイスバックスのシニアディレクターに就任し、現在は運営会社の(株)栃木ユナイテッドの代表取締役でもあります。

サッカー引退後もブラジル国籍のままなのに日本サッカー界へ貢献してくれてたんですね。
素晴らしい方で、感謝しかないです。
サッカー評論家としての辛口も日本サッカー界を思えばこそ。
いつか日本代表がW杯優勝を飾る日を楽しみに応援したいと思います。
それでは、またっ!
 


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