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人間は「リアクター」ではなく「アクター」  自分の行動は何かに反応するのではなく主体的に決めれるのに・・

人間は「リアクター」ではなく「アクター」  自分の行動は何かに反応するのではなく主体的に決めれるのに・・

コロナ禍の中で、時間が増えたこと

考える時間
本を読む
空を見上げる

整理整頓が増えた方もいらっしゃるんじゃないかな

思考の整理整頓、モノの整理整頓
『こんなものが残ってたんだ・・』と隅っこの方から見つけたものあったりします
もう何年も忘れて気にも留めてなかったものが出てきます

何年も忘れていたから、要らないモノ、と第三者からみればそうなんですが
これが、捨てれないんですよね
主観的に見て、大切なものになっているモノ

例えば
本、写真
『さあ、要らないモノ捨てるぞ!』って押し入れとか、机の引き出しとか、部屋の隅っこにあるものに手を付けたとき

ずいぶん昔のそれが出てきました

大体、ぺらぺらと中身を点検しますよね
そこには、思い出がいっぱい

「捨てる」って時、モノだから『よし!整理整頓』となるんだなあ・・と思いました

しかし、本や、写真はモノじゃないんですね
そこには、「コト」が広がっています

アドラーだったと思いますが
人は、リアクターではなくアクターだ、と言っていたという本を読んだことがあります

何かに経験上同じ反応するんのでは無く、反応の仕方は自分で決められる・・そんな意味合いだったと思います

あるモノが欲しい時、その欲しいものが目の前にあっても、自分以上に欲しがっている人が居ればそれをあげれる
わかり易いの例えは
お腹が空いてたして、目の前においしそうな食べ物がある、しかしそれを子供にあげて自分は何も無かったかのように美味しそうに食べている子供の頭を撫でてあげられる

行動は、自分で決められるということですね


整理整頓では、捨てることを目的とした場合、時に間違ったことが起きます

対象とするモノが、過ぎ去ってしまい普段は気が付かなかった大切なコトの場合でも
何かに反応的(リアクト)になっていて、目が曇っていたり(ここで言う、「何か」って冷静さや人間性を失う元であったりするんですよね)して、間違った判断を人間はしそうになります
人間は、大切なモノ・コトを自分で決めて、周りと自分を幸せにできます

ニュアンスは少し違うのですが、ツボにはまっているのでいつも思いだすのが
イソップ寓話の「ガチョウと黄金の卵」
毎日、一個ずつ生む卵を一気に欲しいと思い、ガチョウの腹を切り割き殺してしまう話

私は、「毎日一つずつ」という意味合いよりも、「ガチョウ」の存在を大切にするということに感銘を受けました
仲間は大切であるということを教えられた寓話です

大切なモノを見失わないようにしたいものですね

大切な繋がりは、「魂の兄弟たち」のようなものと、昔思ったアルバムから

The Life Divine

 

これを1973年に作ったというのが凄い

アイキャッチ画像引用元:アマゾン

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