こんにちは、60年代から80年代のロック好きのメローなロッカーです。
ジミー・ペイジ
1980年 レッド・ツェッペリンの解散2年後にコーダ(CODA)というアルバムが発売され本当の終止符がうたれました。
そして、「ジミー・ペイジ」は、動き出しませんでした。ファンはヤキモキしてましたが、
そのペイジの初めてのリリースが、『えっ?』と思わせる【サウンドトラック】「ロサンゼルス(チャールス・ブロンソン主演)」です。2作目は【ザ・ハニー・ドリッパーズ】。
その後、ポール・ロジャースと【ザ・ファーム】を組み、2枚のアルバムを出しましたね。
どれも、ペイジファンとしては、期待の半分以下で、フラストレーションが溜まりました。『ペイジはもうやる気ないのかな?』なんて、ため息がでる思いでした。
初のソロアルバム
しかし、1988年いきなり「アウトライダー」が発売されました。音楽雑誌で予告を見たときは、レコード屋さんに『予約お願いします!』とすっとんで行きました。
1曲目のプロモーションビデオっぽい
ウェスティグ・マイ・タイム
アウトライダーのメンバーは、
ボーカルに、【アラン・パーソンズ・プロジェクト】が手掛けた「ジョン・マイルズ」、
【ELP】「カールパーマー」の【アトミック・ルースター】に在籍していた「クリス・ファーロウ」、そして、
「ロバート・プラント」。
全9曲収録で、マイルズが2曲、ファーロウが3曲、プラントが1曲、インストが3曲です。
ベースにトニー・フランクリン(ファーム)、フェリックス・クリッシュ(アラン・パーソンズ・プロジェクト)、そして、ツアーを一緒にしたダーバン・ラベルド。
ドラムスは、ボンゾの息子「ジェイソン・ボーナム」です。
『かっこいい!』と言うのが30年前、最初に聴いて思ったこと。変調があるペイジ節が炸裂!という感じで嬉しかったです。
でも当時、批判はいっぱいありました。待ちに待ったファンの心を埋めてくれるには物足りない作品だったということ。また、プラントが1曲の参加しかないこともありました。
しかし、ボンゾの息子が親譲りの低いチューニングドラムスで参加してくれたことは嬉しかったですね。
今回、ご紹介した「ウェスティグ・マイ・タイム」のボーカルのジョン・マイルズはシャウト感がよく、ペイジを上手く触発して曲のノリを作っている感じです。『プラントに似てる』とよく言われる所以ですね。
ペイジも黒のストラト(と思われる)を、Zep.時代のように低いポジションで操り、スライドバーを浅くはめてエモーショナルなプレイです。
待ち焦がれた分だけ、リアル時は、文句なしに『OK!』でしたし、年を経てから聴いても新しい発見があり、それなりに感動します。やっぱりペイジは自分でプロデュースするのが一番ですね。
ペイジの曲もツェッペリンの曲もどんどん聴いて音源を守っていきましょう。
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波動スピーカー PR-018【YU-ON】」
プロ演奏家も認めた生音のような臨場感
ご覧いただき、ありがとうございました。