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一緒に過ごした友のことを思った  あの子供のときの日々は時間の長さじゃないんだと知った   友を亡くすというのはこういう感覚なんだと改めて思い知った

一緒に過ごした友のことを思った  あの子供のときの日々は時間の長さじゃないんだと知った   友を亡くすというのはこういう感覚なんだと改めて思い知った

Comfortably Numb

 

みんなの声が聴こえるか?
オレは声を出してないけど、空を見てるよ

 

「あいつが亡くなった」 と連絡が入った
田舎を離れて生活しているからこういった連絡はありがたい と今回は思った
還暦も過ぎているともなれば、この手の連絡は想定内だが、歳月が過ぎてくると いろいろ見えているモノ 見えてくるモノが違ってくる
これが、30代、40代のころだったら考えも及ばないショッキングな内容だが
その時は今回と違って、ショッキングだけれど不思議と悲しみは湧いてこない、そんな記憶がある
近しい友人だったら違うのかも知れないが、現実味から少し離れているからか、実際に死ぬということの捉えたかが違ってたのかも


近しい友だったらどうだったんだろう・・
「近しい友人」というのもその時々で違ってくる
学生時代  小学校・中学校・高校のときの友人、それだけでは近しいとはならない
田舎だから、よっぽど優秀か、家庭の事情などでない限り
小学校から中学校までは同じ学校に通う、クラス替えのときに少しドキドキするくらい
そして高校になると少しだけバラける
この高校のときも微妙
だが、その後少し変わってくる
高校3年生のとき同じクラスで、大学も同じ地域にとなれば通ってる学校は違えども
良く集まって飲み明かすことになる
その時、この同級生は「近しい」友人と思い、その時期特有の揺れ動く心の支えにもなってくれたりしてありがたかった
「生涯を通じて友人でいられる」と真剣に思った

幼馴染という言葉はこんな時に使うのか?

が、そうでも無いことがよく分かったそれからの歳月だった
その何十年を過ぎてみないと分からない答えを今受け取っている

この度の訃報は、懐かしいものの中に不思議な感覚がある
その同級生は、近くに住んでた
小学校の通学団から一緒だった、昔は団を組んで上級生が旗を持って一番前と一番後ろに付いて下級生を守って通学していた

私の親は仕事の関係で、私が小学校に上がる少し前に定住した
それまでは、まわりに子供がいない生活だった、いつもまわりは大人だけだった
それで小学校に入って最初の授業で、隣の席の子にからかわれた
同い年の子供への抵抗力が無かったのでそのまま家に帰ってきた
幸い担任の先生が優しくて、今で言う不登校にはならずに済んだが
なぜ、すんなり戻れたのかは記憶に無い、先生が優しいと書いたが、きっと優しかったと思う
周りの大人が結構苦労したんだろうなあと思う

一人で野山を駆け巡っていたからなのか、走る飛ぶといった運動は出来た
だからそいつとは仲良くなれた
小学のときの運動会ではリレーのメンバーになり、強く記憶に残っているからだと思うが、いつもバトンをそいつに渡していたことを思い出す
地区の陸上競技大会にもそろって出場した
ホントによく遊んだ
中学・高校では同じ部活で汗を流した
卒業アルバムでは、同じユニフォームを着て並んで写っている

その同級生が亡くなった
田舎を出てからは、帰省しても会うことが極端に少なくなった
そいつの周りの友人が変わったからか、・・いや私がその周りにいる友人と付き合わなかったからだと思う

そいつは田舎でお盆の集まりなどがあるとよく誘いの電話をくれた
「みんな集まるから、絶対来いよ」といわれても不義理を尽くした
それでもよく電話をくれた「絶対来いよ、みんな待ってるから」・・・

そんな友が亡くなった
やっぱり「友」なんだと思った
離れていて、飲み会でもあまり一緒に過ごさなかったのに
あの時、友にバトンを渡したときの手の感触
同じボールを追いかけてた部活での励ましあいやぶつかりあいの熱量

一緒に過ごした時間は短かったが、時間じゃ無いと思った
あの子供のときの濃厚な日々や出来事が時間の長さじゃないんだと思い知った
友を亡くすというのはこういう感覚なんだと改めて思った

「祭りが好きだったから、法被も一緒にしてたぞ」

そうか、活発でいろんなことで幹事役をしていたやつだったが、そんなに祭りが好きだったのか・・

 

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