毎朝起きる
いつもだいたい、5時半くらいか
今は日の出も遅くなり、カーテンを開けてもまだまだ外は暗い
その後、無意識に部屋の明かりを付けるが、部屋の中が丸見えになってしまうから恥ずかしい気もしてとりあえず一旦切る
季節柄、少し南に傾いた太陽の昇る東の空はほんの少し薄っすらとだいだい色が見えるか見えないか
なんて、ゆっくり自然の美しさに浸っていられないからさっさと朝の準備に取り掛かる
この歳になると、今日も元気で目覚めたことに感謝する気持ちがたまにでてきた
と言っても、まだ還暦を少し過ぎた62歳なので
定年延長とか、年金の受給年齢は・・・なんて言葉がまさにリアルな毎日になっている
人生100年時代と言われているから、自分も普通に100歳まで生きると思っているが
確約されたものでは当たり前だけど無い
そこで、『今日も元気で起きれたこと』が当たり前じゃないと思うようになってきた
健康診断では、血圧や中性脂肪、肝機能などが思ってたより少し高い値でドキっとしたが、特別どこか具合が悪く生活に支障があるわけでもなく、普通に過ごしている毎日を何かの瞬間に、当たり前じゃないと思う時がある
毎日同じ朝焼けを見ていると思っているが、実は同じ朝は無い
自然は人間には感じ取れないけど刻一刻と変化してるし、自然の一部の自分も少し前の自分とは変化している
その変化が感じ取れない穏やさかだから、同じだと思って生きているが、過去に今の自分は存在しない
そうすると、自分の変化をどう受け止めるかが、結構重要だなあと思う
年齢とともに、だんだん出来ないことが増えてくる
さっきも、足の爪を切っていたら、爪切りを持つ手が右足の小指の爪にもうギリギリで届くかどうかで、ちょっと苦しい感じでパッチンと爪を切った
『ああ、いつか、この小指の爪が自分で切れなくなる時が来るんだろうなあ・・』と
出来なくなることに、失望してたら
この先、失望だらけの人生になってしまうと、嫌な気分になった
失望でなく、素直に自分と向き合う心で、『今日も元気で起きれたこと』に感謝だなと思いました
レキシントン・ラボ・バンドを見ると
昔々、好きなバンドのコピーしてた楽しかった若かりし頃を思い出します
今は、当然あのころ弾いてたようなことはできないですが、今はあのころ出会った音楽たちに感謝しながら楽しんでいます
Rosanna