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ウィルスとは闘って勝つのじゃなく共存  それはまずヒト同士の好意に基づく波長の増幅が前提なのかも     ピンク・フロイド「Echoes」

ウィルスとは闘って勝つのじゃなく共存  それはまずヒト同士の好意に基づく波長の増幅が前提なのかも     ピンク・フロイド「Echoes」

議論

議論しないと分かり合えない時ってあった
いろんな議論をして分かり合えたという経験が確かにある
腹の中を思いっきりぶち開けてとことん話しあった・・なんて経験もあると思います

しかし、「論破」っていう言葉を聞くようになってから違和感が膨らんできた

もう何年も前のこと
ホント若~い時だったと思う
それこそ何十年前

若い頃、学生時代なんかは
お酒の勢いも借りて議論し合った
あの頃は、日本酒の紙パックなんて無かったから、一升瓶を湯飲み茶わんに注ぎ合ったり(なぜか 剣菱 ばっかり飲んでたなあ)・・
時代は好景気に沸いていたし、”強いことがいい” 風潮もあった
フォーク村で、新宿西口で反戦歌を歌う大先輩までは到底追いつけないけど、反骨精神もそれなりにあると思って生きていた


論破

そして、時間が過ぎて行くうち、いろんな知識を集めて議論して「論破」する
強いことが求められた

けど、この「論破」という言葉が出てきたころから
自分の中が変わっていったように思える

相手の、ある発言者の
言動をどう受け止めるかは、主観的なもので
その主観は、自分の中にある論理によってつくられていると思う

信条とか主義とかってそんなに大切なものだろうか?
それによって批判したりして
敵対し、自分も相手も何も言わなくなり、二度と会わなくなった

勝ってどうなった?
大事な友を失っていたかも知れない
「議論に勝つには、議論しないこと」と言うような意味だったと思うけど
そんなディール・カーネギーの本も知らなかったし
大事な人を失ってきただろうなあ

共存

”21世紀は心の時代” という言葉の形がだんだんしっかりしてきた
人生の中で ”勝った、負けた” なんて寂しいと思う

新しいウィルスに翻弄されている今だから余計に
「共存」することの重大性を感じる
ちまたのテレビでは、『ウィルスに勝つ!』とか『闘いだ!』とか
勝つか負けるかの雰囲気だが

ノーベル賞を受賞した中山先生がよく言われる ”ウィルスと共存” や
解剖学者の養老先生がNHKのニュース番組で ”
ヒトのゲノムのある一定の割合はウィルス由来” だと言ってみえたのには驚いた、そして強く思った

人間同士は、ありのままの相手をまず受け入れることが必要だと思うし
排他的や嫌悪ではなく、”好意” をもって相手への見方を変え
相手の良いところ・・今持っている良いところ・・を見るか
『こんなことが無いから、あんなことが出来ない』と無いことに注目して排除しようとするか

相手の言動に良い意味を見つければ波長がだんだん合いだして共鳴の振動も大きくなり
ひょっとしたらそんな「波長」がウィルスとの共存の鍵になるかもしれないと思ったりもする

ある一定の波長の光だけが見えるとか
ある一定の波長の音だけ聞こえるとか

もしかすると、ヒト同士のある一定の波長がウィルスとの関係性の関わって共存が成り立つなんてことが起こるかも知れない

Echoes

 

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