波長が合うかもしれない
と相手に感じたらその人は自分にとって仲間かも知れない・・
そんな直感を感じたことあるかたもいらっしゃると思います
その人の言葉や態度などでそう考えるんだと思いますが
「波長が合う」という言い方、微妙です
ひょっとしたら、耳に聞こえる言葉や、目に見える仕草などで感じ取り判断しているだけでなく
その人の出している「波動」に反応して、共鳴してそう感じてるのかな?なんてこのごろ想像しています
仲間と思っていた人から「えっ?」っていうようなコトバが出てきたときでも
耳に聞こえる言葉で感じ取っているだけじゃなく
その人の身体の奥から発している波長に共鳴して仲間意識を持っているから仲間としていられるんじゃないかと
仲間って思える人、そんなに多くないてもいいと思いますし、一人だけっていうのもありだと思います
今は多くの人と集まることはできない状況ですが
仲間の数で人の価値が決まるわけではないのに、多くを求めることがあったりして
とかくこの世は、比べたくなる世ですね
仲間や友人と会って話をしてるとき
「ちょっと居心地が悪い」って感じは、人数にも関係がある気がします
3人で会って話したりするのはいいんだけど、4人になると何となく心がフワフワ・ザワザワする
それは、4人の波動の共鳴やノイズに耐え切れない何かがそこにあったのかもしれないと思うんです
また、コトバは人のコミュニケーションの大事なモノですが
50・50でいい部分と悪い部分がありますね
「これはこうなんだ」と、コトバによって何でも一般化しちゃうところが嫌なところですね
人間、もっと深い部分でつながりあって生きていくのが幸せなんだろうなと思います
人も突き詰めていくと
そのモトは素粒子の集まりなんだから
その人固有の波動をキャッチボールしているのを、我々は「幸せ」と感じているのかもしれないなあ
I Believe In Father Christmas