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あの事故から10年、グリーンタイツがトレードマークだったエルボーの【三沢光晴】

こんにちはー。
スポーツのニュースサイトをみていたら全日本プロレス、プロレスリング・ノアを立ち上げた三沢光晴さんが試合中の事故で亡くなって10年が経つことが判明。
2009年6月13日に享年46歳で早すぎる死が訪れてしまったんですね。
僕が大学生の頃は深夜にプロレス放送があったのですが、バイト終わりにいつも見ていたのが懐かしい。
その当時の全日本プロレスは三沢光晴、小橋建太、川田俊明、田上明の四天王時代。
毎週毎週四天王が熱い試合を繰り広げてるころでした。

2代目タイガーマスク

初代タイガーマスクは佐山聡。
2代目タイガーマスクは実は三沢光晴だったんですよぉー!
初代のスタイルを継承しつつも独自の展開を見せた2代目タイガーマスク。
メキシコ遠征中だった三沢へ馬場さんから電話が入り『コーナーポストに飛び乗れるか?』との質問に飛び乗れると答えたところ帰国が決定。
1984年8月26日に2代目タイガーマスクとしてデビューしました。
ちなみに三沢は2代目タイガーマスクとしての活動中の1988年5月に結婚をしたのですが、記者会見で正体を明かしちゃうのですが、そのまま2代目タイガーマスクとしての活動は続けるというマスクマンとしては異例の行動に出たそうです。
根が真面目だったんでしょうね(笑)
ということで、2代目タイガーマスク時代の動画をご紹介。

華麗な空中殺法に投げ技が綺麗だったなぁー。
タイガースープレックスも流行りましたね!

グリーンタイツがトレードマーク、エルボーの三沢

1990年春に天龍源一郎が全日本プロレスを退団しSWSに移籍し、複数のプロレスラーが移籍する騒動がありました。
その騒動の最中、三沢は試合中にマスクを脱ぎ三沢光晴に戻るとポスト天龍に名乗りをあげ、川田俊明・小橋建太とともに超世代軍を結成し活躍。
全日の強さの象徴と言われたジャンボ鶴田をシングルマッチで下すなど超世代軍の中心選手として活躍。
いつしかグリーンタイツがトレードマークとなっていきました。

画像引用元 ぼくらのプロレスより

その後はジャイアント馬場が亡くなった後の全日本プロレスの社長にも就任するも、元子さんとの確執により退団。
2000年8月5日に旗揚げ戦が開催された新団体プロレスリング・ノアの社長となり、試合にも出続けました。
晩年は身体を痛めており、周囲からも休養を取るように勧められていたのですが・・・

地方に行くとタイガーマスクだった三沢、超世代軍で鶴田と戦っていた三沢、つまりテレビのプロレス中継が充実していた頃の三沢光晴を観に来てくれるお客さんがいるんだよ。そういう人たちが、1年に1回しか地元に来ないプロレスの興行を観に来て、俺が出てなかったらどう思う?
引用元 Wikipediaより

上記のようなコメントを理由にプロレスリング・ノアの旗揚げ後の全ての興行に出続けました。
本当にファンを大切にする選手だったんですねぇ。
そして2009年6月13日の試合中にバックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り、救急車で病院に搬送されるも帰らぬ人となってしまいました。

本当に残念なことになってしまいましたが、10年経っても三沢光晴さんの勇姿を忘れることはありません。
天国で安らかに過ごされていることを願ってます。
きっと身体の痛みを気にすることなくマットを飛び回ってるのではないでしょうか?

三沢光晴さんの懐かしの動画で終わります。

エルボー!タイガードライバー!タイガースープレックス!エメラルド・フロウジョン!
オリジナル技もたくさんあったなぁー。

三沢光晴さんのような素晴らしいプロレスラーが出てくることを期待してます!
それでは、またっ!
 


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