スポーツ大好きアラフォー『じょびスポ』と、60’s〜80’sロック大好きな『メロー』が運営するブログ

日本の右サイドを長く守り続けてくれた内田篤人が遂に引退を発表。

日本の右サイドを長く守り続けてくれた内田篤人が遂に引退を発表。

こんにちはー。
サッカー界から残念なニュースが流れてきました。
長く日本代表の右サイドを守り続けてきてくれた内田篤人選手が引退発表。
年齢的にはまだ33歳なので、もう少し頑張って欲しかったとこなんですけどねー。
負傷の影響もあるんでしょうし、これまでずっと楽しませてくれたことに感謝を伝えたいと思います。

シャイの裏にある熱い魂を持つ寡黙なSB【内田篤人】

内田篤人選手は目立つことが苦手なシャイな部分が知られています。
しかし、いざサッカーとなるととても熱い魂を感じさせてくれる選手でした。
2010年6月に開催された南アフリカW杯では直前までレギュラーとして活躍していたのですが、大会での出場は0。
その悔しさを糧にブラジルW杯にはかならず出場するんだという強い気持ちで4年間を過ごし見事出場。
2010年にはドイツブンデスリーガのシャルケ04への移籍を果たし、大男たちに混ざってレギュラーも獲得。
海外で一人で強い信念を持って戦って勝ち得たことが素晴らしいですね。

画像引用元Youtubeより

内田篤人(うちだ あつと)
1988年3月27日生まれ
静岡県田方郡函南町出身
身長176センチ 体重67キロ

函南中学校時代は目立った活躍はなかったが、大学進学も視野に入れて進学校でありサッカー強豪校でもある清水東高校へ進学。
高校卒業後は7〜8クラブから興味を示され、2006年に鹿島アントラーズに入団。
新監督に評価され1年目からスタメン出場を果たし、17歳11ヶ月での初得点は当時のJリーグ最年少記録に。
また2006年のオールスターではDF最多得票を得て史上最年少出場となりました。
鹿島アントラーズの史上初の3連覇にも貢献し、W杯後の2010年7月1日にドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へと完全移籍を果たす。
シャルケ04では7年間在籍し怪我などで長期離脱もありましたが、右SBのレギュラーとしてチームに貢献しファンに愛されました。
2017年8月にシャルケ04から出場機会を求めてドイツ2部のウニオン・ベルリンへと移籍する際にはファンの声もあり引退セレモニーが開催されました。
チームに貢献し、ファンから熱狂的に愛されてるのが伝わってくるセレモニーでした。

2018年1月には古巣の鹿島アントラーズへの復帰が発表され8年ぶりにJリーグへ復帰し、活躍が期待されましたが残念ながら引退となりました。
指導者としてサッカー界で活躍してくれるといいなぁと思いますが、今後はどうなるんでしょうね。

縦へのスピードが持ち味

スピードと高い技術を持ち、運動量豊富で素晴らしいスピードを持った選手。
シャルケ04の強化部長からも絶大な信頼を寄せられていました。

アツトは桁外れな自制心を持つ選手で、戦略指示を100パーセント実行する
攻撃において刺激を与えようとするが、守備面を絶対に忘れない
それに走力というフィジカルの強みも加わる
引用元Goal.comより

頻繁にオーバーラップを仕掛けまくるイメージはありませんが、ここぞの場面で素晴らしい飛び出しを見せるタイプ。
一瞬で相手DFを切り裂くスピードはパスの出し手も気持ち良かったでしょうね。
シャルケ04時代のスーパープレイをご覧くださいませ。

いい選手だなぁー。
そして日本代表としても熱く戦ってくれたのもやはり忘れられません。
W杯前のシーズン中に右膝を怪我をしてシーズンを棒に振るも、W杯のために手術をしない方法で早期復帰を目指して全試合出場をしてくれました。
膝の状態が悪い中でも魂の全力プレーを見せてくれて感動しました。

この時のムリがたたってその後は膝の怪我にも苦しめられ遂に2015年6月に手術をすることとなり長期リハビリも経験してしまうことに。
内田篤人選手のW杯への想いの強さが感じられた出来事でしたが、引退を早めることになってしまったのかと残念に思う気持ちもありますね。

東日本大震災へのメッセージ

内田篤人選手のエピソードで絶対に忘れてはならないのが、東日本大震災の時のメッセージ。
東日本大震災が起きてしまった翌日の試合後の被災地へのメッセージが熱かった。
勇気をもらった日本人もたくさんいたことでしょう。
とても感動しました。

画像引用元サッカープレイヤーズドットコムより

そしてGKノイアー選手のことも忘れてはいけません。

2011年3月12日、ブンデスリーガの第26節アイントラハト・フランクフルトとの試合前に、ノイアーのチームメイトである内田篤人が前日に日本で起きた東日本大震災の被災地に向けメッセージを送るためにメッセージ入りのユニフォームを持っているのを見て「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか」と問いかけたところ、内田が「勝ったら見せようと思う。負けたら見せない」と答えたので「じゃあ勝つ。僕が守るから今日は勝てる」と声をかけた。試合はノイアーのアシストもあり宣言通りシャルケは4試合ぶりに勝利した。試合終了後チームはサポーターの前で喜びを分かち合っていたが内田はメッセージを書いたユニフォームを着てたたずみ、しばらくしてチームメイトと共に控室に戻ろうとしたところ、ノイアーがそれに気付き再び内田をファンの前へエスコートしてメッセージを披露させた。
引用元Wikipediaより

内田篤人選手、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
今後の活躍を祈っております。
それでは、またっ!



サッカーカテゴリの最新記事

PAGE TOP