こんにちはー。
日本人サッカー選手がガンガン海外移籍を果たし、世界のサッカーが身近なものになってきましたね。
僕の幼少期には海外サッカーを見る手段はほとんどなくて、毎週土曜日の三菱ダイヤモンドサッカーを楽しみにしていました。
当時は奥寺康彦さんがドイツでプレーしていたこともあり、ドイツ・ブンデスリーガの試合もよく放映されていました。
カールハインツ・ルンメニゲのプレーに酔いしれたものです。
あぁー懐かしい。
マラドーナ最大のライバル【ローター・マテウス】
ドイツ代表として長くプレーしたレジェンド選手のローター・マテウス。
彼のポジションに縛られないプレーに魅了されてファンになった僕です。
身体は小さめですが、存在感・キャプテンシーの強い素晴らしい選手でした。
画像引用元 YouTubeより
ローター・ヘルベルト・マテウス
1961年3月21日生まれ(60歳)
西ドイツ・エアランゲン出身
身長173センチ 体重70キロ
地元のFCヘルツォーゲンアラウハでサッカーを始め、1979年に18歳でブンデスリーガ1部のボルシアMGと契約しキャリアをスタート。
1984年に強豪バイエルン・ミュンヘンに移籍し守備的MFとして、ブンデスリーガ優勝3回に貢献。
1988年にはイタリア・セリエAの強豪インテル・ミラノへと移籍し、守備だけでなく攻撃力も買われセンターハーフとしてプレー。
パスセンスや得点力も見せ、クラブ8年ぶりのセリエA制覇・スクデット獲得へと導く活躍。
その後は1992-93シーズンから古巣のバイエルン・ミュンヘンへと復帰し、ブンデスリーガ優勝3回へと導きチームの顔となる活躍を見せました。
2000年からアメリカのニューヨーク・ニュージャージー・メトロスターズへと移籍し、2001年に現役を引退。
ドイツ代表としても長くプレーし、FIFAワールドカップにも1982年スペイン大会・1986年メキシコ大会・1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会と5大会出場を果たすレジェンド。
あのディエゴ・マラドーナともW杯、セリエAで鎬を削った最大のライバルと称されるほどの選手。
現役引退後は監督としてのキャリアをスタートさせますが、大きな活躍は見せれてないのが残念でした。
守備だけでなくオフェンス能力も高いリベロ
ローター・マテウスはキャリア序盤は守備能力を買われて守備的MFとしてプレーし、中期はオフェンスにも絡むセントラルMFとして、後期はリベロとしてプレーしていました。
僕がマテウスのプレーを見ていた頃は復帰後のバイエルン・ミュンヘンでリベロとしてプレーしている姿でした。
ピッチを所狭しと動き回るボックス・トゥー・ボックスな選手で、守備も得点もこなす凄いプレイヤーでした。
決して派手なプレーを見せるわけではなく、激しいタックルでボールを奪うと縦へとスルスルーっと抜けていき、あっという間にゴール付近に持ち込んでシュートを決めちゃうイメージ。
ミドルシュートも強烈だったし、パスも美しかったなぁー。
ガツガツと闘志を前面に押し出す熱いスタイルに熱狂したもんです。
縦への推進力は迫力ハンパなかったです。
身長173センチと小柄ながらも熱いハートを持ちチームを鼓舞する真のリーダーでした。
個人的にはドイツで活躍する遠藤航選手が、日本のマテウスと呼ばれるくらいの存在に成長して欲しいなって思ってます。
今日はローター・マテウスを知らない世代のサッカー少年たちにも凄さが伝わったら嬉しいなと思います。
ドイツ代表ではなく、西ドイツ代表だったという時点で遠い昔の選手な感じになっちゃいますね(笑)。
それでは、またっ!
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