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人生は四季にたとえられることがある   でもヒトには人生には当てはまらないと思う

人生は四季にたとえられることがある   でもヒトには人生には当てはまらないと思う

In Memory of Elizabeth Reed

 

50年以上前の曲
クラプトンから入って来た自分は、オールマン・ブラザーズ・バンドといえば、デュアン
ディッキー・ベッツというすごい才能も内在してたバンド 「昔はすごかった」と思ってしまう

その時々に違う思いを起こさせる名曲だと思う
自分の中でいつまでも成熟していく曲

ヒトの人生は四季に例えられるが

歳は取りたくないねえ~  とは、とあるクリニックで聞いたコトバ
人生の後半を歩んでおられるかたを見てたまたまその同じ空間にいた他の患者さんであろうヒトのコトバ
それだけ切り取ったら、年老いて病院に来るようになったときの健常とは違う姿を、可哀そうと思うか、自戒として思うのか、それとも年老いるというのはいやなことなんだと一般化してしまっているのかも知れない
健康で長生きは理想なのかも知れないが、どんなことがあるかは分からない
それはどんなヒトでも同じ、たとえセキュリティがしっかりした環境に普段住んでいて外的な傷害にはいいとしても内面からくる病気等には無力に近い

そんな風に歳をとることは「歳は取りたくないね~」と言われなくてはならないことか、そのヒトの価値観、判断基準だからとやかく思っても仕方のないことではある
加齢と病気により疾患部位の機能的肉体的成長は止まり低下していく、さらにはそれをかばうように他の部位にも影響が及ぶこともある しかし、人間総体しての成長はいつまでも続く、本人次第だとは思うが

人生は四季にたとえられることがある
加齢と病気は秋に相当するのか、秋は実のなる季節、実になれば収穫であるが
そう簡単に収穫されてたまるか
「もうそろそろいいだろう」「このタイミングだ」と長年の経験や科学的な判断基準をして農家のかたは収穫をする、そして美味しい食材がテーブルの上に並ぶ

でもヒトには人生には当てはまらない  当てはめられてたまるか  と思う
ヒトは成長したあとそれを維持しあるとき秋になって実になるでは終わらない
ヒトは成長のあとに成熟がある もちろん果物も熟す期間があって糖度が増したりするが熟したタイミングを誤るとヤバいことになる
実がそのまま土に落ちることになる、しかし植物は落ちるからこそそこから次の世代につなぐことも獲得したし忘れてはいない

自分が幼少だったはころは寿命が60代だった、ヒトは生き物の進化としては非常識にも見える
あれから何百年もの時間をかけていないのに寿命が倍近くになった印象さえある
進化ってもっともっと時間をかけて獲得するんじゃないのかな これは医療の発達発展がエンジンになったのは間違いないと思う
それも込みで、ヒトは長寿命を獲得したおかげで成熟し続けるという能力を育むことができるようになった
だから、肉体的には下降を辿るとしても総体としてのヒトの成熟はいつまでも続けられる
たとえ身体の部分部分が若いころのように扱えにくくなってきたとしても、精神的にはいつまでも成熟し続けれる
そんなときヒトはヒトをありのまま受け入れることを学んで、「ありのままを受け入れる」という能力を獲得していくのだろう
そう言えばアドラー  アルフレット・アドラーは、個はそれ以上分割できないと唱えられましたね
ひょっとしたら間違っているかも知れないが「どんなだろうと、そのままを受け入れる」そういうことなんだと受け止めました
アドラーは確か戦前に亡くなられてますから百年くらい前に唱えられた理論にこれからヒトは真摯に向き合い成熟し続けるという能力を獲得していくんだろうなと思う

 

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